私は、本の虫とまでは行かないが、虫に近い方かもしれない。誰か、名前を忘れたが、ある人がやはり暇さえあれば本を読む癖がついていて、便所でも本を読む、その本を探しているが、なかなか適当なものが見つからなくて、うろうろするということを書いていた。私もそれに似たようなことをする。
便所は誰にも妨げられなくて、ゆっくり本を読めるから、といって便所に小さい本棚を作っている人も知っている。週刊誌あたりが多いようだが、意外と固い本を置いている人もいる。通読は大へんなので、虫が木の葉を噛じるように、便座に腰掛けながらポツポツと読んで行くのである。
年をとったので、昔と違って手当たり次第目に入った本を買うということはなくなったが、それでも買う癖は直らない。贈呈本もある。本は増える一方である。
10分で1冊読める、という大広告をときどき新聞で見る。そりゃ読みようによっては、できないこともないと思うが、そんなにあわてて読んで、何が残るだろうか。昔、学生時代に読んだ小説は、今でも荒筋を思い出したりするが、最近読んだものは、本の題目すら忘れて、2冊目を買ったりする。そんな状態だから1冊10分間でいいのかもしれないが、それでは何のために本を読むかわからない。
この頃、私の読書法は昔と少し違ってきた。昔はわからないところは、二度、三度読み返したりしたが、この頃はよくわからなければ、読み飛ばしたりする。読み方が至って気儘になって来て、又、それでいいと思っていることである。
ブック・オフという店が出来たとき、時間があれば覗いてみたが、一度読みたいなという本が100円組に入っていたりする。それを買うと得をしたみたいな気になった。新刊に近い本をその組でみつけることがあり、この作家も蔭って来たなと思ったり、意外なことがわかったりする。
ただ、本は重い。少し時間の経った百科全書がセット1万円ぐらいで出ていたりして、つい買ったこともあるが、運ぶのに汗をかいた。古くても大抵役に立つが、立たないこともあって、やはり安いわけがわかった、と思う。
夜、風呂に入ってベッドにもぐるが、眠る前に必ず本を読んでいる。週刊誌は大抵そこでこなしているが、結構固い本を読んだりする。難しい本ほど睡眠薬代わりになるのではないか。面白い小説はできるだけ控える。つい止めれなくて、睡眠時間に喰い込むからである。
あと何冊読めるだろうか。昔はそんなことは毛頭考えなかったが、この頃はふと思う。読みたい本は一杯ある。昔読んだ、又は読みたいと思いながら読んでいない大部分の本もある。それをこれからどう読んで行くか、時々立ちどまって考えてみる。この頃読める本は大体月せいぜい10冊だから、年100冊一寸。あと何年読めるか、など昔はこれっぽっちも思わなかったが、この頃は計算したくなる。それで、今後の読書法をきめたい、と考えながら、もう何年たったであろうか。いい本というのは何だか、わからなくもあるが、いい本をできるだけ沢山読みたいと思っている。
22・6・20