そこで、駐留軍の占領から開放された神田の一ツ橋大学の講堂を活用して「国民劇場」という名称で芝居を始めようということになり、多勢の委員が選ばれた。菅原卓、千田是也、久保田万太郎、花柳章太郎、杉村春子などが入っており、私もその委員の一人として名を連ねることとなった。

 当時の記録が残っていれば、もっと詳しく書けるのにと、それが残念であるが、何回かの会合では、国立劇場の創設を希望する声が圧倒的に高かったのは当然であったが、差し当たりは、一ツ橋劇場を利用しての発足ということになった。