続き☆
Zepp名古屋の続きです(((o(*゚▽゚*)o)))
中に入ってから2階指定席へ向かいました![]()
2階の自分の席に着いた時、隣の席の方が話しかけてくれました![]()
隣「さっき外で並んでた時も隣でしたね」
A「本当ですね!並んでる時しゃがんでたけど、腰痛いんですか?大丈夫ですか?」
隣「大丈夫です!ちょっと痛くて座っちゃいました💦前回のonly行きましたか?どこでしたっけ?」
A「前回のonlyはダイホですね!Zeppは振替公演以来ですね…」
隣「あの時のフォレストホール8列目だったんですよ~💦」
A「えっ?!私も8列目でした!!」
隣「ぇ━(*´・д・)━!!!」
みたいな世間話を少ししてたら、あっという間に開演となりました![]()
暗転してスモークがステージの両サイドから出てきて、いよいよまた始まるんだっていうワクワクと胸が高鳴ったと同時に、場所的にやっぱり前回の振替を思い出して胸がギュッとなりました…
いつものようにアニィ、ゆーた、彦(普段は我が家では彦は星野呼びですw)、今井さんの順で入場❤︎
会場がメンバーを歓迎ムードに盛り上げます(*^^*)
そして1曲目の百万那由多ノ塵SCUM![]()
そのままスブロサだったかな??w
すでにセトリに関しては記憶が曖昧すぎるので間違った事をアップするくらいなら他のブロガーさん達に丸投げします
w
ここからはライブ中の私の覚書だけ🤣
今井さんMC編✨
「ただいま名古屋!ただいまBUCK-TICKです!」
コレ、2回目もただいまだと思ってたけど、他の方のブログやらXのポストやらを見ると、
「ただいま名古屋!おかえりBUCK-TICKです!」
だったと見かけて、自分の記憶力の方が怪しいのでおかえりの方を採用w
今井さんからとBUCK-TICKからの2回もただいまを貰えて嬉しすぎるって喜んでたんだけどなぁw![]()
メンバーの中でも、嬉しいやら悲しいやら名古屋はやはり特別な場所になってしまったんじゃないかな💦
それはメンバーとお魚が一生共存していく事のような気がしてる![]()
名古屋しか参戦出来ない私としては、それこそ嬉しいやら悲しいやらの気持ちです😭
今回のLIVEで気になったというか自分の感想は……
今井さんは歌った煽ったり踊ったり座ったり立ったりして凄く盛り上げてくれてて、途中何度か、ん??息切れしてる?っぽく見えて、ちょっと心配になった💦
でもそこは今井さんなので最後までバッチリ歌い踊り煽りきってたよ!さすが今井さん![]()
あと、ガブリエルのラッパの今井さんは上から見てて本当に教祖様みたいで、真っ赤な照明の中みんなが今井さんに向かって✌️をしていて凄く幻想的な景色でした(*^^*)
それを見て夢魔のあっちゃんを思い出しました![]()
今井さんの中でのあっちゃんを見るような不思議な感覚だったな🤔
そしてアンコ後のboyの今井さんはヤバいw![]()
あの歌詞を歌う今井さんは想像してなかったのもあるけど、あっちゃんの時とは全く別物として、あっちゃん以外でも成り立つんだという不思議な感覚になった![]()
今井さんだけじゃなく彦もギターを立て弾きしたりしてエロ彦満載で座って客席を覗き込んだりしてて、ロックオンされた皆さんちゃんと生きてる??(←羨ましいなぁ
)って思って上から見てましたよ笑
彦はonlyの時に比べて格段に歌が上手くなってて、そこに加えて表現力も少し持ち合わせ始めてきててこれはかなり危険な沼をまた拡大しそうでした![]()
ゆーたんは、ステージを本当によく見ていて、センターで今井さんや彦が歌っていたら、その端にどっちもいない場所を見つけるとスーッと行ってセンターにバランス良く3人が並ぶポジショニングを取っていて、さすがゆーたん👏って思いました![]()
アニィは、私の席のほぼ真正面だったのでバッチリ見えたのですが、本当に無駄なく的確にリズムを取っていて、噂のIGNITERを初めてまともに見ましたが(←失礼過ぎるw)、めちゃくちゃかっこよかったです(((o(*゚▽゚*)o)))
あっという間の2時間でした(*^^*)
LIVE前にボンタンアメを食べて尿意対策をしていましたが最後まで全然持ちました😂w
次からも一応持っていこうかなw
次は秋のホールツアーかぁ💦
それまで長いなぁ😭
すでにおかわりしたい気持ちと戦ってますw
愛❤️Peace(*^^)v
第二期BUCK-TICK Zepp名古屋☆LIVE前編
めちゃくちゃ久しぶりです(((o(*゚▽゚*)o)))
って、別に誰も待ってないだろうよw
基本的に自分の覚書なのでまぁいいんだけど😂
先日の日曜日にBUCK-TICKのLIVEに行ってきましたよ(* 'ᵕ' )☆

当日は、会おう会おうと話はしてたのに何故が毎回すれ違ってしまっていて、かれこれ何年経った??っていうぐらい会えてなかった大好きなBUCK-TICK大パイセンと待ち合わせをして、一緒にお昼ご飯?いや、晩御飯?を食べに行ってから会場に向かいました😊
私はめちゃくちゃ早食いなので、きっと焦らせてしまって申し訳なかったなぁ💦
もう少しゆっくり食べる練習をしよう……w
会場に着いたら、いつものメンバーと待ち合わせした訳でもないのに無事に会えてw、軽く挨拶とかしてもうそれぞれの整理番号の列へテクテク(・ω・o*)-8。。。
私は今回は2階指定席だったので会場横で待機(っ ॑꒳ ॑c
開場時間が少しだけ押したのかな🤔
そういうが聞こえたけど私は時計を見てなかったからわからないけど😅
会場に入ると指定席なのでいつもみたいにバタバタ焦ることなくトイレに行ってから2階へ![]()
今回は今井さん側の前から2列目の通路寄りで、なかなか見やすい席でした🪑
前回のZeppは2022年のFT&Lの振替公演でしたね...
その時は2階指定席の最前ドセンで、あっちゃんの真ん前でめちゃくちゃ幸せだった事を思い出します(*˘︶˘*).。.:*♡
でもその頃にはすでに沼落ちしていたけど(←今更白状するw)、彦ばかりじゃなくて、ちゃんとあっちゃんの事もしっかり見た![]()
そもそもあんなステージング見せられたら、なかなかあっちゃんから目が離せないよ👀
でも、あっちゃんと今井さんはいつ見てもブラウン管←(古いw)越しのような感じがしていて、現実の人という実感が湧かないw
彦は……うん、ギリいそうな気がするっていう感じw
ゆーたとアニィもそんな感じw
話が逸れまくったけどw
本題に行く前に一旦おしまい( ^-^)_旦”
8月29日☆
めちゃくちゃ久しぶりのブログ更新です😌
最近はもっぱらTwitterの民となっていたので、こちらはフォロワさんの投稿を読ませていただくばかりでした😅
Twitterって呟こうと思っていたというか、Twitter上で残しておこうと思っていたのだけど、文字数の問題で無理だったのでブログに残しておこうと思う😂
ばあちゃんの介護を始めてからここまでのことなどなどです☺️
8月29日、祖母が他界した。
そのままその日にお通夜で次の日には葬儀が執り行われた。
こんなご時世なので、家族のみの葬儀となった。
この日が訪れるまでの話をするとなると長くなるけど、書き記しておきたいので思い付くまま書いておこう😁
ばあちゃんのお世話をすることは、母か私か姉の誰かがやる事になるのは自然と決まっていたような所があった。
ただ、母はばあちゃんとのそりが合わなくてあまり乗り気じゃなかったし、姉はフルで働いてるので自然とある程度自由の利く私がメインで動くことになっていた。
認知症がひどくなるまでは、そんなに大変だと感じた事はなかった。
自我の強い人だったから、たまにはぶつかることもあったけど、そんなのは大したことなかった。
認知症が進んでからは、昼と夜が逆転することがあったり、見えないものが見えるようになったり、何でも隠してしまうことがおきたり、徘徊をしてしまったり、わがままがひどくなったり、色んなことがあった。
なので介護が大変じゃなかったって言うと嘘になるかもしれないけど、やりたくない‼️って思ったことはなかった。
最後まで自分が面倒を看ることを決めていたから。
でも認知症が進み、深夜徘徊や夜中の電話が増えてきて、ばあちゃんが1人で暮らしていくには難しくなり、いよいよ施設に入れるかどうかの話になったときも、私は自宅にばあちゃんを住まわせて面倒を看たいと申し出たが、母親から色んな理由から却下されてしまった。
仕方なく施設を探し、施設に入れることが決まった。
施設に入ってからは、みるみるうちに認知症が進んでいった。
攻撃的になり、他の入所者さんを叩いてしまったり、自宅に戻る!と非常口の鍵を杖でガンガンして壊そうとしてしまったり。
当初は週に1度は洗濯物の交換と、様子見のために通った。
会いに行くと、嬉しそうにするよりはいつも何かしらに怒っていた気がする😅
そして早く帰りたいと…。
コロナ禍になり、面会も月に1度となってしまったときには、もはや私のことが誰なのか理解が出来ない日の方がふえていった。
それでも月1で姉と予定を合わせて会いに行った。
会えなくなってからも、病院での検査や怪我などで病院にかかるときには家族の付き添いが必要なので呼ばれることがあった。
そのときはもちろん心配もあったけど、顔を見て元気そうな様子を見ると、怪我の功名だけど会うことが出来てよかったと思ってしまっていた。
最後の入院になったときも、まさかこの入院でばあちゃんがそのまま亡くなることになるなんて思ってもみなかった。
そもそも入院することになった理由が、足の浮腫が凄くて呼吸が少しゼーゼーしてて苦しそうなのもあり、もしかしたら肺に水が溜まってるのかもしれないから、抜いてもらって楽になればいいかなぁって思って受診することにしたって施設の看護師さんに言われてたから。
担当の医師はとても感じの悪い医者で、ちゃんとばあちゃんのことを見てもないのに、年齢的に寿命も近いのかもしれないので処置してもね~って感じで言い放ち、私と施設の看護師さんはとても不愉快な思いをした。
その後、一応とのことで血液検査やレントゲンや尿検査などをすることになった。
血液検査の結果待ちの際に、看護師さんが担当医に
[うちの施設はターミナルは行ってないのでこの状況では連れて帰ることができない]
と話してて、私はいまいち意味がわからなかった。
その後姉が合流し、色々そこまでの説明をして、看護師さんが話してた意味を聞いたりして、それならとりあえずは入院させて次の施設を探さないといけないねって事になった。
担当医も納得し、今後の流れなども含めそのように進めてくれることになった。
病棟の担当医が来て色々と話を聞いてくれた。さっきまでの医師と違い、しっかりとばあちゃんの様子を見ながら、色々と気遣いながら詳しく検査結果を見たりしつつ話を聞いてくれた。
この先生ならばあちゃんを任せられると本当に心底救われた気持ちになった。
入院手続きなどをして、その日はとりあえず帰ることになった。
そこまでの所要時間6時間💦
さすがに疲れた😅
次の日には医療連携センターに行き、次の入所先を探して貰う手続きをしてもらうために予約をしにいった。
そして予約日となった翌週、終末期医療のある施設を探して貰うよう話をしに行った。
その次の日、担当医から電話がかかってきた。
医療連携センターから次の施設を探していることを聞いたとのことでの連絡だった。
先生は、まだ容態があまり良くないのでとても次の施設に行ける状態ではないことを告げてきた。
そして、今のばあちゃんの状況を詳しく教えてくれた。
最初の担当医が話してた軽い感じとは違い、とても不安になるような内容だった。
その話を聞き、次の施設に入れる話は白紙に戻して貰った。
また1週間後位に先生から電話があった。
だいぶ状態は改善されてきたけど、やはりいい状態ではないとのこと。
治療法を先生と話ながら、私の一存で決める事になることを少し不安に思いながらも、1番はばあちゃんが苦しまない事を最優先に進めて貰うことにしていた。
それは母にも姉にもちゃんと報告は入れつつやっていった。
二週間弱が経ち、また電話があった。
ばあちゃんの容態があまり良くなくて、だいぶ衰弱が進んできていると。
入院したときは取れていた食事もとれなくなってきて、それにともなって急激に体力が低下し血圧も下がってきてしまっているとのとこだった。
とりあえず病院に来て欲しいと言われたのですぐに母と姉にも連絡を入れてから病院に向かった。
病院に着くと先生からの説明があった。
いつ何が起きてもおかしくない状況らしく、今から1時間持つかわからないし、このまま何日か持つかもしれない。
だけど、今週が山だということは多分間違いないと…。
だから、会わせたい人がいるならこの1週間は面会解除にしてあげるから会わせてあげていいと言われた。
なかなか頭と心の整理がつかないまま、その日はとりあえずは容態も落ち着いてきたので帰宅した。
次の日、2人の子供たちを連れて面会に行った。
本当なら、面会は1日1人でと看護師さんに言われていたのだが、どうしても子供たちにも会わせたかったし、何よりばあちゃんがずっと会いたがっていたので会わせてあげたかったから…。
先生からは許可を貰ったので連れていった。
約3年ぶりに子供たちはおおばあばに会った。
見た目も全く変わってしまい、寝たきりで呼吸器をつけたばあちゃんを見て、下の子はあまりよくわからない感じだったのかもしれないけど、上の子はきっとショックだったんじゃないかと思う。
子供たちに、目をつぶって寝ているばあちゃんに声をかけるように言うと
[おおばあば~おおばあば~]
っと声をかけた。
すると目がピクピクっとして反応しようとしていた。
そして何度か呼んでいるうちに、目を開けてくれた。
私が1人で面会に来て声をかけても、なかなか反応をしてくれることは少なかったのに😂
多分、誰かもわからず、ただ、子供の声に反応を示しただけなのかもしれないし、話したり目を合わせて微笑んだりしてくれることはなかったけど、それでもとても嬉しかった。
子供の声って何だか凄いなぁって思った。
少し目を明けてボーッしていたけど、また目を閉じてしまったばあちゃんを確認してから帰ることにした。
次の日は姉夫婦が面会に行った。
またその次の日、また私が今度は1人で面会に行ったが、一昨日に比べるとやはり衰弱も進んでたし、呼吸も苦しそうになっていた。
とても不安になった。
その翌朝4時に病院から電話があった。
呼吸が弱くなってきたから今から来て欲しいと。
いつ何があるかわからないと言われてからずっと、すぐに電話に気づけるように気にかけていたし、眠りもいつも以上に浅かったのでワンコールで出ることができた。
看護師さんも少しびっくりしたような声だった。
5分で準備を終わらせ、母と姉に電話をかけつつ急いで病院に向かった。
病院までは車で10分ほど。
何とか間に合って欲しいと思いながらとにかく急いだ。
駐車場からはダッシュで病室に向かった。
走ってはいけないことは知っているけど、早朝で誰もいないし、今日だけはごめんなさいと思いながら時折小走りになってしまった。
以前に何かのテレビで、人は亡くなるときに心臓が止まってからも、耳だけは最後の最後に聞こえなくなるから、最後の言葉だけは聞き取れているというのを見たことがあり、どうしても最後にばあちゃんにありがとうを伝えたかった。
病室に着いたときには、すでに呼吸は数分前に止まってしまったということを聞いた。
心電図にはまだ微妙に心音が振れていた。
当直の先生に、[心臓ももう微脈拍程度なのでもうすぐ止まります。このあとは死亡確認となるので担当医を呼ぶだけとなりますが、他に誰か見えますか?]と聞かれたので、姉と母が来ることを伝えた。
それでは2人がくるまで少しだけ待とうと言ってくれて、とりあえず担当医を呼んでくると言われ出ていった。
すぐにばあちゃんに、今までよく頑張ったね‼️
色々と楽しかったね‼️ありがとう‼️と言うことを伝えた。
ギリギリ聞こえてればいいなぁっと思いながら伝えた。
その直後、姉が到着した。
姉も[間に合わなかったかぁ~💦]っと言いつつも、一生懸命[ばあちゃん‼️ばあちゃん‼️]っと声をかけていた。
その後先生が戻ってきて、死亡確認をしてもいいですか?っと聞いてくれたので、母はまだ到着してなかったけど、姉と2人で確認をすることを決めた。
8月29日午前4時36分 死亡確認
先生にお礼を言って、その後の説明として葬儀やさんに連絡をして、何時ごろ迎えにこれるか確認して欲しいということと、ばあちゃんをキレイにしてくれるとのことで一旦退室するように言われたので、姉と待合室に向かった。
その途中で両親と会ったので、看護師さんにキレイにするのを待って貰って対面させてあげることができた。
病室から母のすすり泣く声が聞こえてきたので、2人にしてあげようとそのまま姉と待合室に向かった。
その後、叔父夫婦も到着し、今後の葬儀の話しなどが始まった。
今さっき亡くなったばかりなのに、もう葬儀の話をしないといけないとか、現実はとても残酷だと思った。
淡々と話が進み、葬儀場への連絡を私がすることになった。
一旦実家に行き、以前叔父から預かっていた互助会の満期証明書を見ながら電話をかけた。
そして、葬儀場の方の病院への到着時間が七時頃と聞いたので、病院へ戻りその事を母と叔父夫婦と看護師さんに伝えた。
その間少し時間があるので、病院に車が何台もあっても邪魔なので1番近所の私の車を自宅に持って帰ることにした。
病院に戻ると、ちょうど葬儀屋さんが来ていた。
ばあちゃんと一緒に葬儀場へ向かうので、一人同乗してほしいと言われ、私が同乗することになった。
葬儀場へ向かう前に、ばあちゃんに自宅を見せてあげたいと葬儀屋さんに自宅に寄ってから葬儀場に向かうようにと母がお願いしていた。
そこは私には考え付かなかったので、とてもいい判断だと思った。
コロナ禍で外出も出来なかったから、もう一年以上自宅には帰れていなかったから…。
ばあちゃんを車に乗せて、ばあちゃんの横に私が乗って、みんなの見送りを受けながら病院から葬儀場へ出発した。
途中ばあちゃんの家に寄って窓を開けて、自宅を見せてあげた。
[久しぶりの家だよ‼️帰ってきたね‼️]
っと伝え、少し眺めさせてあげてから葬儀場へと向かった。
葬儀場に着いたときには、病院に来ていたメンバーがすでに到着していた。
喪主となる叔父夫婦とうちの両親の4人で、葬儀についての打ち合わせが始まった。
そのとき、私と姉はソファに座りながら焼香の支度をしている別のスタッフさんをボーッと見ていた。
そして焼香の支度が済んだとことで、一旦打ち合わせも中断して焼香をすることになった。
焼香をして、口に水を飲ませてあげるという儀式?があったので、ばあちゃんは肺に水が溜まりやすくなってしまっていて、常に脱水状態じゃないといけなかったので、喉が渇いていただろうと思い、少し多目に飲ませてあげることにした。
その後、枕経を唱える為にお寺さんが来るとのことだったが、それまでまだ少し時間があるとのことで放置状態の自宅に戻ることにした。
家に着くと下の子が怒り泣きしながら玄関に走って来た。
[寝てるときに勝手にいなくならないでよ~]っとのことだったので丁重に謝ってハグをして許して貰った。
家族にはまだばあちゃんのことを伝えてないなかったので、ばあちゃんが今朝亡くなって今日そのままお通夜をして明日葬儀をすることを伝えた。
部屋の片付けと軽く掃除をして、また葬儀場に戻ると話をしたら、上の子も行きたいというので一緒に葬儀場に戻った。
葬儀場に戻るとすでにお寺さんが到着していて、枕経を唱えてもらった。
その際、娘も初めて亡くなってしまったばあちゃんと対面した。
焼香をして、先程の私たちと同じようにお水を飲ませてあげていた。
枕経が終わり納棺をするとのことで、みんなでばあちゃんの身支度をした。
これを亡くなった方に施すことを旅の支度というらしい。初めて知った。
納棺を終え、通夜までの時間があるとのことでまた自宅に戻った。
通夜の支度をするために喪服を出して着てみたが、かなりサイズアップしてしまっていることに気付き全く同じ状況にあった姉と買い物に行くことにした😅
喪服を買う前に、棺に入れてあげたいものがあったら持ってきていいと言われていたので、ばあちゃんの好きだったフルーツやお菓子や飲み物やお酒などを買い込んだ。
その後ばあちゃんの家に寄り、仏壇の前に置いてあったじいちゃんの写真や家族写真なども持っていこうと決めた。
ついでにばあちゃんの家のご近所さんに挨拶回りと、近場ではない親戚の人達にも電話を入れることにした。
一通りの報告と買い物を済ませて、自宅に戻り葬儀場へ戻った。
すでにみんな揃っていて、唯一県外でばあちゃんの子供の長女家族も到着していた。
こんなご時世だからと葬儀に来ることをとても悩んでいたけど、やはり最後ぐらいは会いたがっていたのと、何よりばあちゃんが会いたいと思っているはずなので、どうするかは叔母さんに委ねることにしていた。
久しぶりの再会に喜ぶような雰囲気ではなかったけど、やはりみんな顔を合わせることができるというのは嬉しい気持ちになった。
お通夜はつつがなく終わり、普段ならみんなでお酒を飲んだり食事を取りながら故人を偲んだり、亡くなるまでのばあちゃんの様子を話したり聞いたりするのだろうけど、今はこんなご時世なので全て取り止めて、また明日の葬儀でねっと呆気なく解散となった。
晩御飯の支度をする気力なんてもちろんなく、食欲も特になかったのでお弁当屋さんで各々好きなものを買って自宅で食べることにした。
私はノンアルビールだけで献盃した。
翌朝、10時から葬儀だったので早く起きて支度を済ませて9時には自宅を出発した。
葬儀場にはすでに全員揃っていた。
お寺さんが到着後、そのまま葬儀が執り行われた。
お経や焼香も全て終わり本当に最後のお別れとなった。
棺に乾物やお花や、買ってきたフルーツや飲み物などをたくさん敷き詰めた。
最後に、冷たくなってしまったばあちゃんの頬に触れてありがとうと伝えた瞬間、涙が溢れだしてきて止まらなくなってしまった。
ばあちゃんが亡くなってから初めて泣いた。
亡くなった時もお通夜のときも泣かなかったのに……。
何かがプツンと切れたみたいだった。
ようやく泣けた瞬間だったのかもしれない。
泣きすぎて頭がボーっとしたまま出棺の時となった。
火葬場には10人までしか入れないという規制があったので、子供たちを義兄に頼み、両親と姉と私、そして喪主夫婦と叔母夫婦とその息子2人の10人で火葬場に向かった。
火葬場に着くとすぐにお経があり、お線香をあげるとそのまますぐに火葬となった。
あっという間だった。
その後、90分外出や飲食禁止とのことで会議室で監禁状態になった。
90分経ち館内放送で呼び出しがあったのでまた火葬場に向かった。
火葬場の隣の小さな部屋に誘導され、色んな説明を受けた。
今は骨壺も小さくて全ての骨は入れられないとのことで施設の人がばあちゃんの足から頭までの骨を選んで持ってきた。
それをみんなで骨壺に詰めていった。
喉仏の説明をされたんだけど、ばあちゃんの喉仏がめちゃくちゃ立派で、実年齢でこんなに綺麗に残ってる人は70代でもなかなかにいないと言われて、みんなでさすがばあちゃんだねっとクスクス笑った。
全てが終わり、また葬儀場に戻った。
葬儀場に到着して、事務的な話を少ししてから初七日の法要も済ませてから解散となった。
県外組を見送り、私たち家族も帰宅した。
お骨は喪主宅ではなくうちの実家に持っていくことになったので、遺影と共に実家に運んだ。
実家に到着し、お骨と遺影仏壇に置いて、ばあちゃんがお邪魔しますとご先祖様達に手を合わせて報告をした。
さすがにみんな疲れも溜まっていたので、今日は実家でデリバリーにしようとピザを頼むことにした。
家族でいつものように食事を取り、いつものように実家でお風呂に入ってから自宅に戻った。
これがばあちゃんの葬式までの私の行動と記録。
ばあちゃんとの思い出は書き残すには大量過ぎてとても無理だから、忘れないようにたまに思い出しながら懐かしみたい。
まだ懐かしいって思いにはなれないし、何となくまだ亡くなってるっていう感じがしない時もあったりして、四十九日法要が終わったらまた少しずつ実感していくのかなぁ![]()
今までもこれからも、私にとってばあちゃんはとても大切な人生の先輩であり、教師であり、子供であり、友達であり、仲間であり、素敵で大好きな祖母でした![]()
ここまで長々とお付き合いくださった方がいたとしたら、こんな個人的な記録に付き合ってくださってありがとうございました![]()