【聖書箇所】
出エジプト記
3章5節
【新改訳】
神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。
あなたの足のくつを脱げ。」
(「あなたの立っている場所は、聖なる地である。」)
【口語訳】
神は言われた「ここに近づいてはいけない。
足からくつを脱ぎなさい。」
【新共同訳】
神が言われた。「ここに近づいてはならない。
足から履物を脱ぎなさい。」
【NKJV】
Then He said,"Do not draw near this place.
Take your sandals off your feet. "
旧約聖書、
出エジプト記3章。
偉大な神のしもべとして、
イスラエルの民を
エジプトから救い出した
モーセの召命の場面です。
モーセが神から召命を受けた
時の年齢は80歳でした。
その40年前、思いあまって
事件を起こしてしまいます。
自分の同胞のためにも
なんとかしたいという
切実な気持ちによって、
良かれと思ってしたことが
エジプトから逃亡せざるを
得なくなってしまいました。
逃げのびたミデアンの地で、
40年間羊飼いとして普通の
生活を送っていました。
それは、平穏無事な生活
だったことでしょうか。
そんな日々を過ごしていると、
モーセはシナイ山のふもとで
不思議な光景を見たのです。
その光景は、
「燃えているのに
燃え尽きない柴」
というものでした。
モーセは、そこに
近づこうとしたとき
主の声を聞いたのです。
「ここに近づいてはいけない。
あなたの足のくつを脱げ。
あなたの立っている場所は、
聖なる地である。」
出エジプト3:5
「あなたの足のくつを脱げ」
は何を意味するのでしょう。
ここで言われている「くつ」
と訳されていているのは、
砂漠で羊飼いたちが履く
革製のサンダルのことです。
革紐で足にしっかりと
結びつけて使用しました。
乾燥した荒地に最も適した
履物のことです。
その履物を脱ぐということは
色んな深い意味があって、
いくつかの解釈ができます。
①自分の権利を捨てる
第一の解釈としては、
自分の権利、思いや考え、
立場を捨てよという意味です。
「自分を捨てること」
ですね! クリスチャンには
同じことが要求されています。
旧約聖書のルツ記にて。
ボアズが、ナオミの土地とルツを買い戻し、ルツと結婚しようと決意します。しかし、ボアズ以上に「買い戻す」権利をもった者が一人いました。
ボアズはその親戚にベツレヘムの門で待ち受け、10人の長老たちに承認になってもらって、「買い戻し」の意志があるかどうかを確かめました。
イスラエルでは「レビレート婚」という特殊な結婚の義務があり、子どものいない男が死ぬと、その弟が兄の嫁をめとることが定められていました。
弟がいない場合、血縁の近い順番でおはちがまわっていきます。
このような習慣、義務制度のことを「レビレート婚」と言います。
ボアズはナオミの土地を買い戻し、残された未亡人であるルツをめとろうと思いましたが、果たして、その権利を有する最近親者がどうするかで決定します。
「買い戻しの意向」の有無を問われた男は自分の権利と義務を放棄しますが、その時に自分の靴(履物)を脱いで、相手にそれを渡すという習慣、ジェスチャーによって、自分の意志を表しました。
つまり、神がモーセに「お前のくつを脱げ」と命じた意図として
「自分の権利を捨てよ」
という意味と考えられます。
それまでの過去の経験や業績、立場、体裁などを放棄することで、
神に完全な奉献と信頼
を要求されているという意味だとも考えられます。
(2) 奴隷の立場に立つ
古代では「くつ」を履けるのは自由人のしるしでした。
名誉と誇りのしるしです。
奴隷や貧しい者は裸足で歩いていました。
つまり「くつ」を脱ぐということは、奴隷の立場に自分を置くことを意味します。
神のモーセに対する使命は、エジプトにいる王の奴隷となっている同胞を救い出すことでした。
それゆえ、リーダー自身が奴隷と同じ立場に身を置くことを意味しています。
やがて神の御子は神であるにもかかわらず、そのあり方を捨てられ、ご自分を無にして、仕える者(しもべ)の姿を取って、人間と同じようになられました。
この「しもべなるイエス」によって、私たち人間は罪の奴隷から救い出されたのです。
「あなたの足のくつを脱げ」
と言われる主のことばに従うことなくして、神のしもべとして仕えることは許されないのです。
幕屋で仕える祭司たちが、神の聖所に入るときは、必ず裸足でした。
そこは、単に聖なる領域というだけでなく、心から神の子と同じ、人に仕える貧しき者となることを要求されているからです。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
ピリピ2:6~8