「くよくよ考えてばかりいる男は、
すぐ向こうに緑の牧場が広がってる
ってのに、悪霊に取憑かれちまって
草のない荒れた地の上をぐるぐると
引きまわされる牛馬の様なものだよ」

ゲーテ作「ファウスト」より
メフィストフェレス の言葉。


【 貧困を克服して裕福に 】


 【貧乏は 誰のせいか】

貧乏というのは、
嫌われものです。

なぜ人は、貧乏というものに
なってしまうのでしょうか。

影響するのは運か、努力か、
それとも誰かの策略か。

自分以外の誰かによって
押し付けられた役回りか。

その様な発想は、単なる
責任転嫁みたいな感じも
しますが、本気で心から
それを信じる人もいます。

今のこの苦しみは、
誰かのせいなんだと。



【神に助けを求める】

日本では昔から、貧困については
「貧乏神」という言い方をします。

貧乏の神様に取り憑かれたら、
どうにもこうにも貧乏になると。

「神さま」とは言ってもその本質は、
「天地万物を創造して生み出した
親元の根源的至高存在」ではなくて、

「地上に生きる人間よりも高次元」
というだけのことにすぎません。


           ユウゲン    ミョウガ
人は「幽玄なる冥加」を指し表して、
つまり「目に見えない縁起物」として
「神さま」と呼び求めてきたわけです。

隠れ身の存在、それが、神さま。
しかしながら、表にも出て来る。

アマテラス大御神が岩戸に隠れた様に、
この世にあっては人間の目に見えない。

福の神も疫病神も貧乏神も
トイレの神様であっても、
日本の文化では縁起物。

ジンクスに縛られているがごとく、
有り難い存在にはアンタッチャブル。

「触らぬ神に祟りなし」とも言って、
神聖不可侵の領域は、封印してしまう。

どうにもならない貧困について、
どうして良いかわからない現実。

克服して豊かになることよりむしろ
恨みつらみを誰かにぶつける思想。

そこには何の実りももたらしません。
それでもついつい当たり散らしちゃう。

福はうちに、鬼は外にと仕分けても、
本当に悪いのは心の奥にひそんでる。

欲や自我やプライド、こだわりとか
しがらみ、トラウマや思い込み等々。

結局のところ一番の敵は自分自身。
。・°°・(>_<)・°°・。

貧乏から抜け出したいと願うのなら、
必死に求めて乞い願う必要もあります。

神様に助けを求める人のように、
真剣に誠実な努力をしましょう。


【言葉と考え方に気を付ける】

貧乏神の対策は、簡単です。

「貧乏な波動を出す人にとりつく」
というわかりやすい性質があります。

本当に貧乏をやめたかったら、
日頃から意識や言葉の使い方を
徹底的に変えることが大切です。

言葉の力を活かし、長年染みついた
「貧乏波動」を「豊かな波動」に
変えていくことから始めましょう。

人への悪い思いを無くして、
言葉で人を非難することなく、
平安を求める心を養うのです。



【貧乏を克服する祈り】

神仏から知らず知らずに受けている
助力や保護や功徳、利益、縁起物。

そして、それよりもずっと大切なのは
人の命であり、愛であり、この心です。

人は本来、神様によって生み出され、
幸せになるために生きているのです。

「どこかの見ず知らずの神様」
なんてものは存在いたしません。

本物の神様であれば全て知ってるし、
何でも実現することは可能ですから。

ただし、この世では法則があって、
人の心だけは本人の自由意思の責任。

いくら幸せを与えたいと思っても、
善にして愛と憐れみの神であっても、
人間の自由な決定権は尊重するのです。

本人が貧乏が好きならそのままだし、
混沌として整理されない無秩序状態を
住み心地の良い居場所とするのであれば
そこから救い出すこともなされません。

本人が自分の思いで抜け出ようと
奮起しない限り、無駄ですから。

金銭的、物質的に恵まれることで、
貧乏から逃げられるのかと言えば
それはとても大きな間違いです。

物事の本質が全く見えていません。

「悪銭身につかず」とも言って、
「棚から牡丹餅」ではその場限り。

富や豊かさを使いこなすためには
裕福さを受け取る準備も必要です。

単に祈ったくらいのことで、
問題は解決するでしょうか?

「本気で信じて疑わずに祈れば」
大抵のことは神様に聞き入れられる。

それが「信仰」というものでしょう。
「聖人」や「超人」の伝説にあります。



【変わるのは今この時】

たとえ裕福になろうとも、
貧乏に逆戻りするような
リバウンドもあります。

物事の表面的部分が変わっても、
本質的な心の部分が変わってない。

本物の神様は光の源の存在であり、
愛と平和、喜びと幸せ、真の豊かさ
しか作らないことを理解しましょう。

悪の存在は、偽り事と混乱を招き、
不和と暴力、争いと無秩序です。

その闇を破壊して、邪悪なものが
存在しないようにするのが神様です。

人間は、肉体を持っている限り、
「痛い、苦しい、辛い、駄目だ、
立ち上がれないかもしれない」

などという思いが、人間の脳に
襲ってくることもあるでしょう。

しかしながら、実際的に人は本来、
霊から生まれてきているものです。

人間は、おサルさんではない。
形から、肉から生まれてきた
ものではなく、神の子です。

人類の進化の過程図みたいになって、
環境に適応するために変わること。

それは、危機的な状況から
生き延びるために必要です。

ただし、知識や知能に頼るあまりに
環境の方を変えようとしてしまうと、
人は自分を変えることをしなくなる。

環境に適応する能力が身に付かず、
他者を思い通りに変えることこそ
生き残る知恵だと思い込んでいる。

そういう考えでは
生き残れません。


生き残るというのは、神により
聖なる霊の息吹を受け取ること。

神が命の書にその名を
記して覚えていること。

たとえ今は貧しく小さくとも、
生きてさえいればいつかきっと
幸せに恵まれ花開く時もある。

禁断の知恵の木の実は美味しくて、
他人を牛馬の様に働かせられる。

それが善か悪か、人間の本質である
「良心」によく問いただしましょう。

誰が真実の愛だと、何で分かるのか。
働きが、人びとの役に立つか否かです。


【人のために生きて】

天の命運は尽き果て、
進退も極まる苦境困難。

神仏に見放され、これ以上ない
ひどくつらい仕打ちに合わされ、
それでも恵まれて
好運であること。

愛のために生きているからです。

人は本来、愛されるために生まれ、
人を愛することのために生きるもの。

裕福になるというのは、
人を幸せにするためです。

まずは愛の心から養うこと。

富や豊かさは、自然に
あとからついてきます。
(=´∀`)人(´∀`=)


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有能な者は行動をするが、
無能者は講釈ばかりする。

ジョージ・バーナード・ショー