人は、苦しい経験をした時には
「そういう出来事があった」と
過去をわりきって考えますが、
ずっと引きずる場合もあります。
「被害を受けた私」という考え方は、
記憶によって裏付けられた情報です。
いつまでもこだわっていたら、また
同じ状況を招きやすくなるものです。
確かに、つらく苦しく大変な状況に
なってしまったのが事実だとしても、
すぐに気持ちを切り替えないならば
次第に悪循環に陥ることになります。
心に受けた苦しみを、すぐに完全に
忘れろというのは難しい話ですけど、
長く覚えていたり思い出し続けるのは、
不健全かつ後ろ向きな良くない姿勢です。
かえってまた、同じような状況としての
「再び被害を受けた私」を引き寄せます。
辛い出来事が起きただけでは、まだ
その時点では被害者ではありません。
積極的に被害者意識を作らなければ、
次は必ず幸せがやってくるものです。
世界は心の持ち方一つで変わります。
心さえ変えれば世界は変わるのです。
世界を変えようとして努力しても、
その本質を変えることは無理です。
力により支配者が圧政を施しても
暴動を鎮圧しても精神は自由です。
だからこそ、人の心を動かすために
自分の在り方自体を変えるのです。
暗くぼやけた後ろめたい心であれば、
幸せよりも不幸せの方が多くきます。
明るくはっきり前向きな心になれば、
不幸せを越えて幸せが育てられます。
少なくとも、自分自身の苦しみを
人にぶつけたりするということは、
絶対にやめた方が良いでしょう。
その場ではストレスが噴出されても、
かえってさらに大きなトラウマさえ
引き起こしかねないものだからです。
被害者として心に傷を抱えるばかりか、
加害者として心を閉ざすことによって
精神的なダメージは増えるばかりです。
心に憎しみを持っている限り、人は
自分自身を幸せにすることでさえも
拒否して暴虐の限りを尽くすのです。
つまり、憎しみやさげすみの思いを
心から解き放つことが出来るなら、
不運を招く体質からも解放されます。
心には、憎しみではなく愛を持って
生きるというのはそれなりに大切な
意味があることにほかなりません。
他人を侮蔑する人に不幸が多いのは、
自分自身にも憎悪を呼び込むからです。
自分の世界にしか価値を認めないのは、
とても危険で不安全な姿勢なのです。
それならば、人は、どうすれば
最良の方法を選べるのでしょう。
つらく、苦しく、大変な状況でも、
笑顔になるのが難しい時であっても、
せめて、人が笑顔でいられるようにと、
人の幸せのために身を尽くす態度です。
「情けは人の為ならず」ということ。
必ずいつかは自分のところにも
幸せはやってくるものですからね!






