わが子よ、死人のために涙せよ。
心痛を表すために、大声で泣け。
それから、式どおりに屍を葬れ。
その墓を尊ぶことをも怠るな。
悲痛に泣いて
心の悲しみを大声で叫び、
死んだ人にふさわしく喪を行え。
一日か二日それを行って、
悪口されるすきを与えるな。
それから、心痛を去って、
みずからを慰めよ。
心痛が過ぎると、死に至り、
悲嘆する心は、身体を衰えさせる。
葬式が終れば、悲嘆をやめよ。
悲嘆だけの生活は耐えられない。
あなたの心を悲嘆にゆだねず、
それを追い払い、未来を考えよ。
これらのことを忘れるな。
死人は二度と帰ってこない。
今となってしまえばもはや
あなたは彼の役には立てず、
自分の身体を痛めつけるな。
「私の身の上にきたことを思え
それは定めである
昨日は私だった
そして今日はあなたの番だ」
死んだ人が休みに入ったからには、
その思い出も休ませてあげよう。
彼の魂が去ってしまったからには、
彼から思いと心を切り離すがよい。
学者の知恵は暇ある時に身につけ、
働きすぎない人は知恵者になる。
すきをつかう人、
さし針を握ることに誇りをおく人、
仕事の間中、牛とともに働く人、
家畜のことしか話題のない人が、
どうして知恵者になれよう。
その心には、
掘ったうねのことしかなく、
若い雌牛を肥やそうと夕べを過す。
昼も夜も働いているような
職人や技術者も同じことだ。
判をほることを仕事にし、
図柄を変えようと熱心に
打ち込む人も同じことだ。
彼らは、
型を元どおり写すことを心がけ、
仕事の完成のためには、
徹夜もする。
鉄の仕事に全力を傾け、
金床のそばに腰かけている
かじやも同じことである。
火気により身体を焦がされ、
彼らは炉の熱気と戦い、
金槌の音が耳をつんざき、
目は型にくぎづけられ、
仕事をうまくやろうと熱中し、
夜を徹して完成させようとする。
陶工も同じことだ。
彼は仕事場に腰かけ、
足でろくろを回し、
作る物のことを常に心配し、
決まった動作をくりかえす。
手で赤土をかたどり、
足で赤土をこね、
心をつかって塗料をかけ、
夜を徹してかまどを掃除する。
こういう人たちは、
自分の手に信頼をかけていて、
それぞれの技術はうまい。
こういう人たちがいないと、
どんな町も建たず、
そこに住むこともできず、
旅行もできない。
しかし彼らは、
国家の会議には出席しないし、
集会で上席を占めることもなく、
裁判官にもなれないし、
律法もわかっていない。
彼らは、学問と知恵において
すぐれた人ではなく、
格言をつくる人々の中にも
入ってはいない。
しかし彼らは、神による
創造の業を保存し続ける。
彼らが祈りを向けるのは、
自分の技術のためだけである。
シラの書、
第38章より。