シラ書
第34章 12 ~31
わたしは旅をして、
多くのことを見た。
わたしが悟った事は、
語り尽くせない。
わたしは死ぬほどの危険に
何度も何度も出会った。
しかしながらわたしは、
それまでの経験のお陰で助かった。
主を畏れる人の霊は
長くまで生き永らえる。
自分を救ってくださる方に、
信頼しているからである。
主を畏れる人は何事にも
おびえることがなく、
決して臆病風を吹かさない。
主にこそ彼は信頼しているから。
主を畏れる人の魂は
とても幸いである。
彼は、だれを頼みとし、
だれを支えとするのか。
主の目は、どこの何を見ているか?
主を愛する者の上に注がれている。
主は、力強い盾、堅固な支え、
熱風から守る避難所である。
主は愛する者を守られる。
真昼の日ざしを防ぐ陰、
転ばないように防いで、
倒れないように助ける者。
主は彼らの魂を高く昂揚させ、
目に光の輝きを与え、 そして、
健やかな命と祝福を授けられる。
不正に得たものを、
いけにえとして 献げるなら、
その献げ物は汚れた物である。
不法を行う者の献げ物は、
主に喜ばれない。
いと高き処におられる方は、
不信仰な者の供え物を喜ばれず、
どれほどいけにえを献げても、
罪は贖われることがない。
貧しい人の持ち物を盗んで、
供え物として献げるのならば、
父の目の前でその子を殺して
いけにえとするようなものだ。
貧しい人々にとって、
パンは命そのものだ。
これを奪い取る奴は、
冷血で残酷な人間だ。
隣人の生活の道を奪う者は
彼を殺すようなものである。
日雇い人の賃金を、不当に
巻き上げる者は、人殺しだ。
一人が家を建てたとしても
もう一人がそれを壊すなら、
無駄骨を折るだけでしかない。
そこには何の益があろうか。
一人が祈りを捧げ、
もう一人が呪うなら、
主は、どちらの者の声に
耳を傾けられるであろうか。
しかばねに触れた後、
身を清めておきながら、
またこれに触れるとしたら、
洗い清める事に何の意味があろう。
罪を悔いて断食をしておきながら、
出て行って同じことをしでかすなら、
彼の祈りに誰が耳を傾けるであろうか。
己を卑しめることに何の意味があろう。