《 日本の昔話 》⑤

【 正直な庄作の婿入り 】
~~   其の五   ~~
清く正しく美しくあること。



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【   清く、正しく、美しく。   】

物語の背景としては、とても奇妙で
不可思議な構図が設定されています。
容姿端麗で外見が美しい人たちと、
その中で唯一の不細工な男の存在。

外見が美しい人たちというのは、
何を象徴しているのでしょうか?
見た目が綺麗であろうと一般的に
特に変わった話ではないでしょう。

でも村全体が美形ばかりという舞台に
どんな意味があるというのでしょう。
共同集落において住民全員が容姿端麗
であることは、何の象徴でしょうか?

一つのパターンとしてイメージするのは、
健康に恵まれていること。そしてそれは、
環境衛生の管理が万全で充実した福祉。
現実生活に恵まれて充実した世界です。

それに対して「非リア充」つまり人生を
謳歌しきれないでいる惨めで貧しい存在
にはそれなりに相応しい対策が必要です。
相互扶助の円滑化と共同利益の最適効率化。

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ  ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


清く正しく美しく生きるためには、人は
一人だけの力では限界があるものです。
だからこそ、地域の助けや社会性構築を
前提とした伝統の継承も大切になります。

健全な身体を機能させるためには、それに
見合った努力を継続させる事が大切です。
その当事者が、自分一人の力で手に入れた
わけではなく、祖先から受け継いだもの。

美しい人々がその地域に沢山住んでいる
という状況は、異様とか奇妙とか不思議
であるよりも、単に理想的な願望を個別
に表現しているだけなのかもしれません。

そのような、美しい人が多い地域とは、
健康で活発な身体能力の象徴でしょう。
もう一つのイメージは、人間の内面性。
人が生きる動機の美しさを表現します。

他者から見た美しさを保つというのは、
自分の心にやましいことが微塵もなく、
過ちを犯さない善良な精神状態の極み。
そこでは美徳に反する者が異端児です。




ψ(`∇´)ψ   【  リア充か  否か  】  *\(^o^)/*

美形ばかり居る村の中にいる、
不細工だけど真面目で正直者。
常に笑顔で一生懸命に働くが、
騙され利用され搾取される男。

侮蔑され馬鹿にされる庄作は、
お地蔵さんに願掛けしていた。
結婚して奥さんに来てもらい、
心から愛されたいと思ってた。

清く正しく美しく生きるのは、
人としてあるべき姿だとしても
現実世界の生活が喜びに充実し、
後ろめたくないならば幸せです。



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正義のために死ぬ者などはいない。
愛のために死ぬ者はいるだろうが。
(ローマ書  五章八節)
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さて、主人公の正直な庄作は
どのようなモチベーションで、
物語の聞き手である私たちに
何を教えてくれるのでしょうか。

(=´∀`)人(´∀`=)


さてそれでは、
今回はここまで。


次回へと      

つ   づ   く   
( ´ ▽ ` )ノ✨✨✨✨✨✨