【  自分を 見失ったりは しない  】

間違ったことを見つけたとしても、
自分に不当な不利益があってもなお、
真実自体をねじ曲げることはできない。

正しい事を知りたいと望むのであれば、
まず自分自身をきちんと理解しなさい。

自分の人としての分際をわきまえ、
この自分は何をすべき存在なのか、
何をしてはいけなくて、どのように
生きれば良いのだろうか求めるなら、
自分を見失って人を裁いたりしない。

必ず道は開けるし、輝く希望の未来
を現実に目の当たりにできるだろう。
人を大切にする覚悟を持っていれば、
明確なチャンスが訪れることだろう。

自分の意思で未来を切り開く事は、
イメージの能力や方向性の確認も
とても大切な無くてはならぬこと。

それにも増して必要不可欠な事は、
信念の強さと優しいいたわりの心、
自分自身をよく省みてよくただし、
責任を持って主体的に行動する事。

本当の賢い人間というものは、
不利益をもたらす不必要な事は
避けられるように行動したり、
心を前向きに養ってゆく事だ。

自分は自分だけの存在ではない。
人がいてこそ初めて生かされる。
自分だけが良い悪いを判断せず、
冷静に落ち着いてあわてないこと。

欲やプライド、こだわりやしがらみ、
不安や不満、そして恐怖心があれば、
自分で自分が分からなくなってしまう。

常に、自分よりも大切なものを感じ、
その愛と真実の喜びに満たされるなら、
自分自身を見失ったりはしないだろう。

自分を見失なわないためには、
強さもとても大切な事である。

強く優しく、たくましくあれ、
賢く抜け目なく、信念を貫け。



ためになる戒めを聞く耳をもつ者は、
知恵ある者の中にとどまる。 
教訓を捨てる者は自分の命を軽んじ、
戒めを重んじる者は悟りを得る。 
主を恐れることは知恵の教訓にして、
謙遜の心は、栄誉に先立つ。



箴言15:31~33