「金銭を愛するのはあらゆる悪の根」
と聖書では言ってるような感じですが、
ゲハジのやり方は、極端な金銭愛です。
人として生きる道は、裏切らないこと。

道徳倫理の規範を踏み行ないながら、
慈悲と誠実を善しとする事が当たり前
のように公共の場で表明されるのは、
ほんの最近になってからのことです。
メディアが普及し始めた頃からです。


【  お金儲けに迷わないように  】
何を基準にして真理や正義が決まるか
というのは、どんな時代でも変わって
はいけないはずですけれども、実際は、
周りの評判、世間の風潮、時代の精神、
つまり「目に見えないもの」に流され、
「空気」みたいに当たり前になります。

弱肉強食の競争意識が常套手段なら、
それに合わせて人間は自分を変えたり
自分の考え方を変えたり出来るもの。

人をだましてでも生き抜かねばと思い、
だまされる方のが悪いと信じてしまい、
結局は自分もいつか同じ目に合うもの。

「神様と金銭の両方に兼ね仕える」
ということは、できないと言われます。
両方を求めて破滅した人々がいるから、
聖書の時代に登場してたからでしょう。

例えば、バラム、ゲハジ、裏切り者の
ユダなども、有名なところですね。
お金儲けしか見えなくなっていると、
人の心が見えなくなってしまうもの。
結局、欲に目がくらんだ人の末路は、
彼自身と子孫に不幸をもたらしました。



【  預言者て、なあに?  】
預言者エリシャは、どうして
ナアマンから謝礼を受け取る
ようなことをしなかったのか。
そもそも預言者はどのように
生計を立てていたのでしょう。

エリシャ自身は当時のイスラエルの
一般市民の中で、篤信な人によって
提供された家に住んでいました。

師である預言者エリヤのように、
主なる神様を畏れ敬う一般市民の
提供する支援物資を受けつつも、
通常は自給自足の生活を送って
いたのではないかとされています。


預言者とは王侯貴族に対してさえも
歯に衣着せぬ大胆な態度をもって、
主なる神の言葉を語るのが仕事です。

主の預言者は、甘い生活ではない。
とてつもなく厳しい試練の連続です。
レビ人や祭司たちのように宗教国家
である古代イスラエルの国家的支援
だとか、生活保障は受けられません。

古代の預言者たちはみな貧しい生活を
余儀なくさせられていたのが常です。


【 エリシャとエリヤ 】
エリシャの師エリヤという人は、
イエスの山上の変貌の時に現れた、
旧約時代を代表するとされる二人の
人物のうちの一人でした。すなわち、
律法を代表するモーセ。預言者を代表
するエリヤと呼ばれるくらいの人です。

エリヤが天に昇る直前、その弟子の
エリシャは、師エリヤに二倍の賜物を
与えてもらえるようにと願っています。

それがかなえられ、エリシャは聖書で
見る限り、師であるエリヤの何倍かの
奇跡的な行為を行っているようです。

エリシャはエリヤのようにモーセと
並ぶ旧約時代の代表的人物ではない。
しかし、エリヤよりも旧約聖書の中で
多くの場面で取り上げられ語られます。
また、その人格の高潔さについては、
キリストを思わせるものがあります。


【 イエス・キリストの継承者 】
イエスは、旧約時代の預言者たちが、
新約聖書に明らかにされているような、
「キリストの救いの真理」を知りたいと
望んでいたと語っています。
(ルカ10:24)

イエス・キリストによる救いについて、
古代の預言者は当然知らないはずです。
でも、人間性の本質に関わる知識だとか、
真実の神への畏敬と信仰の祈りの生活に
恵まれなかったわけではないのでしょう。

「クリスチャン」と呼ばれる人々が、
現代における宗教者として、世界中で
生活しています。ただし、そういう人
以上に、「キリストに似た者」として
の生き方をしていたということです。


【 継承するのは、物でなく心 】
預言者エリヤの跡目を継承し、沢山の
賜物を受け取ることになったエリシャ。
神よりも、地上の富や名誉に走って、
不幸を招く反面教師になったゲハジ。

「引き寄せの法則」を使うのは、
単なるお金儲けばかりすること
なんかでは、決してありません。

 神様は、そしてイエス・キリストは、
人間が幸せになるようにと願っていて、
そのためにあるのが「引き寄せの法則」
だということに間違いはありません。

「うちは○○宗教だから」なんて、
そんなことは関係ないでしょう。
科学的な研究成果を利用しながら、
世の中を幸せにするだけのことです。

弱肉強食や戦闘や競争で富や名誉を
奪い合い憎しみあって、絶滅させる
ためにのろいあうわけではないから。

聖書や儀式、典礼や体面を保つこと
ばかりに執着してしまっていたら、
本当に大切な、真実の貴重な宝物を
後の世代に伝えられるでしょうか?

大切なのは、物や現象の影響ではない。
心が、どのような意思を表明してゆくか。

欲やプライドや虚栄、臆病や偽善や傲慢、
執着心や頑固さ、強情さや嫉妬心など。
人間は生まれ育った環境で様々な悩みや
性質の違いも出て来てしまうものです。



【世の中を幸せにする笑顔の力】
成功哲学を研究することが必ずしも
神の教えかどうかはともかく、幸せ
になるための努力は絶対に必要です。
この世に幸せに生きるために、人は、
愛されて生まれてきたのですから。

さきほどのお金儲けについて引用した
のと同じ第1テモテの6章では、19節
につぎのような表現があります。

☆☆☆☆☆☆

この世で富んでいる者たちに、
命じなさい。「高慢にならず、
たよりにならない富などには
望みをおかないことだ」と。
「むしろわたしたちに全ての物を
豊かに備えて『楽しませて』下さる
神にこそ望みをおくようにせよ」と。

Charge those who are rich in this present world that they not be haughty, nor have their hope set on the uncertainty of riches, but on the living God, who richly provides us with everything to enjoy; 

☆☆☆☆☆☆

パウロは、テモテには厳しいことを
課題として命じますが、それは当然。
預言者たちがそうであるように、
神の使徒とされる者たちにもまた、
より多くの試練や困難が訪れます。

それだけ、この世の中を幸せにする
というのは、大変なことだからです。
喜んで微笑んで生きて行くことこそ、
この世の中を幸せにしてゆく鍵です。

ハッピーでラッキーな毎日のためには、
スマイルを実践してゆくことが、人生に
必要な「糧」ともなるからです。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

さあ、とびきりのスマイルで、
今日も元気にいきますか!
( ´ ▽ ` )ノ✨✨✨✨✨