第9話 歓喜の歌は心に響く
「大変お世話になりました!」
それだけを告げると私は、
長年住み慣れた町を離れ、
新しい生活に入っていった。
人生の歩みを振り返りながら、
全ての人たちに感謝している。
ずいぶん前のことのようだが、
鮮明に記憶の中に覚えている。
時は、人には、止められない。
だからここ人は、強く生きる。
強くなければ生きられないし、
優しくないと無価値な人生だ。
ソフィアとは、私の親友とは、
その後で知り合うことになった。
彼女もまた、故郷から離れて、
私達は、親友になっていった。
今さら昔を思い出すが、
あの頃はよく一緒に歌を
歌って踊っていたものだ。
自分達の歌も、作った。
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愛する友よ。
君にとって愛とは、
生きるために必要な、
価値あるものか?
君にとって愛は、
本当になくてはならない
大切なものであるのか?
愛する友よ。
心の糧として、
毎日毎日熱心に、
追い求めるだけの
意味があるものか?
自分に与えられるものに
満足して日々を感謝し、
人生の学びを通して、
愛の喜びを感じているか?
魂の平安を得て、
幸福と喜びに充実し、
愛に満たされながら
生きているだろうか?
出来ないこと、
足りないもの、
情けない思い、
至らない自分を
なげく必要などない。
それらのものこそが、
人生を生きる学びであり、
道をひらく鍵だから。
それらの苦労こそが、
真実の愛によって得られる
無限に力強い働きを、
広げてゆくためのチャンス。
愛に生きる者は、
幸せに生きる者だから。
愛の心を持つ者は、
後ろ向きにはならない。
怒りや嘆きや鬱屈した、
しがらみに悩まされたり
するような必要なんて、
決してないんだからね。
自分の夢や希望が
何かしらあるのなら、
それが叶わないからと、
悲しむことは必要ではない。
愛の力を信じるのなら、
目の前の現実に対して、
惑わされることはない。
愛が幸せを生み出すから。
すぐに何かを得られない
のだとしても、それは、
その人が本当には必要では
ないからにすぎない。
本当に、心から必要なのか?
それなら必ず得られるから。
心配なんか必要ないから。
まだ学ぶ努力が足りないだけ。
無限の力強い愛こそが、
君にとっての友でなければ、
幸せになど、なれはしない。
人は、それほど、弱い生き物。
人は、依存して生きる。
世の中に生きている人間は、
自分の好きな物だとか、
愛する者に依存して生きる。
それは、悲しいことに、
無限の愛とその力を知らず、
目の前にある現実ばかりに、
心をたやすく奪われるから。
愛してやまない友よ。
君にとっての愛とは、
生きるための糧として、
毎日熱心に求めるだけの
価値があるものだろうか?
与えられるものに満足し、
愛に心が癒されて安らぎ、
日々感謝して人生の学びを
生きているのだろうか?
愛を通して魂の平安を得、
幸福と喜びに充実しながら、
生きているのだろうか?
愛する友よ。
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人はいつも自分の願い、
自分のやり方にこだわる。
だからいつも苦しみを抱く。
苦しみから逃げるほど苦しむ。
現実を受け入れないで、
自分の望む現実を作る。
あまりにも急いぐから、
願いを叶える前に倒れる。
希望を実現させるためには、
準備をしないといけない。
私も君も、そのために、
古い生活を捨てたはずだ。
新しい生活を始めるには、
古い自分自身と離れないと。
今までのやり方考え方は、
もう、過去のものだから。
人間関係に苦しむのは、
人間関係こそ大切だから。
たとえ大変だとしても、
希望はそこにこそある。
過去の古い時代の音楽を、
優雅に聴きながら私は、
これからの事業に対して
想いをめぐらせている。
安楽な愛に腰掛けて、
生暖かいぬるま湯に、
まどろむ時ではない。
熱血な激情をぶつけてやる。
平安で、秩序があり、
穏やかな静けさの中、
大人しく分別をわきまえ、
礼儀正しいのが愛か?
混沌の世の中にあるのは、
愛に見せかけて迷妄した
情欲だとか、慈悲のフリした
偽善ばかりではないか?
新しい生活に生きるとは、
新しい時代を作ること。
愛は、古い愛ではない。
絶えず新たに生まれるもの。
愛は、無限に生きるもの。
愛とは、死に絶えるもの
などではなく、むしろ、
死をも乗り越えるもの。
永遠に、いつまでも、
生きるものこそが、愛。
その愛をこそ、私は、
追い求めることにする。
ソフィア。君への愛は、
この世の愛とは違う。
ソフィア。君にはもう、
幸せは惜しみなく与えた。
私はまた、
繰り返し流れてくる
天上の音楽の調べに
全てをゆだねる事にする。
愛は、いつまでも、
絶えず新たに生まれる。
君への愛は、いつまでも、
滅びることはないから。
第九話 ~完~