この世に暮らす人間は、
自分は何か特別な財産を所有していると自負したり、
自分の存在価値は特別に偉大なものだと称賛したり、
地位や名誉や権力に固執して他者に無関心なことは、
永遠の立場で見たら、
何も持っていない者。
今の自分の幸せに、喜び、感謝し、平和な心になれたなら、
やさしさと
あわれみに
つつまれたなら
愛と希望を、
現実のものに
することが、
可能です。
この世には、
不可能など
なくなって
しまいます。
やさしさは、
いやしとなぐさめ、
まなびとはげまし、
めざめとよろこび、
気付きと感謝の心を
人にもたらします。
やさしさが、
お金で買えると
思ったら間違いです。
それは逆です。
本末転倒です。
お金を持つ者が、
やさしさを与えれば、
やさしさを与えられ、
その富は返ってきます。
人は心の生き物です。
やさしくされたら、
やさしくしてくれます。
お金を持っていても、
善用すれば善徳を積み、
善が帰ってきます。
自分の所有するお金は
その人に権利があって
自由だからといっても、
悪用すれば悪徳を積み、
我が身をも滅ぼします。
その貴重な価値は、
無限の富だからです。
やさしさを、
力づくで奪ったり
だましてかすめとったり、
因縁をつけておどしとったり、
棚からぼた餅が降ってくる様に待っていたとしても、
それでは何もなりません。
人が人として生きる道は、
人として生きる学びです。
人の道に外れながら
やさしさという宝を
安易に手にすることは
絶対にできません。
やさしさは、
やさしさでしか
手に入りません。
本当にその人にとって
必要なものであるなら、
どんなものを持つことも
許されることでしょう。
希望している理想のものを
所有することを願うなら、
やさしさで勝負です。
昔の人は言いました。
女は愛嬌、男は度胸と。
人は両方必要です。
子供が生まれるのに
両親が必要なように、
人の道に必要なのは
愛嬌と度胸、つまり
やさしさと責任ある行動。
ただひたすらに
神様に祈ったり、
開運法則の勉強開発に
熱心に明け暮れたり、
それはそれで、
きっと意味があることです。
人が努力する心は、
運命を切り開くこともあるからです。
ただしかし、
人間の欲望は、
その命の善き理解者
ではなくむしろ、
命の方から欲望を
正しく教え導かないと
共に傷つけあうばかり。
何の実も結びません。
ありとあらゆる権謀術数を策略し、
あらんかぎりのたくらみをくわだてたりしたとして、
命より欲望が上なら、
すべては無駄な徒労に
終わってしまいます。
やさしさに
生きられるなら
きっと、
すべてのものは
自由になります。
あらゆるすべて、
天地万物一切を、
創造して続けている
神と心が一つだから。
人の身でありながら、
天上の高い次元にまで
到達して昇華するには、
愛と感謝に生きることです。
人には、その人それぞれに望む幸せがあります。
この世に暮らす人にとっては、その望む幸せこそが、愛と愛のあらわれです。
しかし無限にして永遠なる
究極で絶対の幸せという
至高の価値ある宝物は、
頭の考えや理屈の算段で
割り切れるものではありません。
人にとって愛し愛され
愛に生きるということは、幸せそのものなのです。
幸せを手に入れ満足していると思っていても、それはそういう物質世界の現象変化の表出を認識しただけ。
そこに愛と喜び、希望と感謝、平和な心があるなら、
生命体は活動力にみなぎり、
精神の情熱はあふれんばかりにほとばしり、
その思考する意識は肉体も霊魂さえも超越して、
新しい価値ある未来を真に創造します。
幸せは、
この世に暮らす人にとっては、
愛そのものだからです。
☆⌒(*^∇゜)v