【真っ直ぐじゃないということ】
1年前、
ぐにゃぐにゃ波うつパイプと、所々錆びたり外れたりしている鉄骨の残る廃れたビニールハウスを修繕して、
私たち夫婦とスタッフは無農薬リーフのハウス栽培を始めました。
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ある一点を見つめ、そこから目を離さず、確信と選択をし続けて突き進む夫の横で。。。
私は不安と怖れで涙目になる日も少なくは無かったです。笑
「こんなグニャグニャのパイプじゃ、、、
こんな高さの違う基礎じゃ、、、
この人に聞けば確実だ!という人もいないし、、、
お金が死ぬほどあれば、、、!
こんな確定要素のない道を選ぶなんて、、、涙」
規則正しくない。予測できない。完全じゃない!
そんなガクブル要素を探しては、ビビリの自分をわざわざ爪楊枝の先でつつくみたいな事をしていた。
でも今は、あのグニャグニャを体験することが1番の収穫だったと思ってます。
(お金に換金すると、300万円分くらいの財産になる経験。もっとかな?)
ペロンとスムーズにタナボタ的幸運に恵まれなくて良かった。(でも今ある全部が幸運の密集だけど。)
真っ直ぐじゃないパイプに、どうやって天窓をつけるか?
1本の曲がった鉄骨を、撤去するのか補強するのか?
ネジの1つ、繋ぎ目のひとつ、ビニールや金具の扱い方。
何百もの細かーい選択のシーンは、休みなくやってくる。
その度に、【真っ直ぐじゃない】という事象に対して、自分をどんな風に柔軟に動かせばフィットするのか?
それにムリはない?
自己犠牲で手っ取り早く処理しようとしてない?
そこに依存はない?
そこに嘘や誤魔化しはない?
いちいちいちいち、そこに向き合うのです。
自分に向き合わされるのです。
自己犠牲という美談も、常套手段として使わせて貰えない。笑笑(成長効率ばっちりかよ。辛)
真っ直ぐじゃない出来事を、なんとか真っ直ぐにしてやる!というエネルギーの無駄遣いを続ける私を、
「ホレ。ホレ。あきらめろー」
って天空から見てる誰かが、居たに違いない。
(真っ直ぐでさえあれば!と願うそれは、お金さえ有れば!って信じ続けてる事に似てる。)
そんなこんなで、
真っ直ぐじゃないビニールハウスは、
真っ当じゃない(と言われている)事を
とっとと受け入れるという扉をプレゼントしてくれました。
そして自分にはホントは関節がたくさんあって、それを動かすだけでいろんな形になれるってことを教えてくれました。
ビニールハウスも、人も、植物も、
天気も、自然も。
ほんとは全部真っ直ぐじゃない。
動いて、曲がって、消えて、流れて、突然現れる。ように見えてる。w

規則正しいとおもっていたものは、
波うつ全ての上から【枠】を重ねて、
そこからはみ出た上下を、カッターナイフでピーーッと切り取ったもの。
だから、無理があったり傷ついたりしてるんじゃないかな?(血、出てるよ?)
関節は動かすと痛い!という思い込みから手を放したら、真っ直ぐじゃないもの同士のダンスをちょっとだけ楽しめるようになりました。
曲がったビニールハウスよ、出逢ってくれてありがとうだよ。
君がいたから、この先を創っていけるよ。
真野りさ