あれからもうすぐ3年。
早かった?長かった?
多分早かった。
そして濃密だった。
沢山の気持ちを味わった。
自分の不甲斐なさに苛立ったり会社への不満が募りがっかりしたり嬉しかったこともある。
ここまできて、接客が初めて面白いって思えた。言葉1つでこんなに伝わり方が違うのか。
その人に合わせた言葉を慎重に選んでいってうまくいった時は自分にうっとりしてしまう。
だし、相手の立場に立って考えてみるっていうこと。やっとこの歳にしてちゃんとでき始めた気がする。
なんだかなーー。終盤を迎えてるから面白いと思えるのかそれとも3年経ってやっと色んなことが分かってきて面白さも分かり始めたからなのかは分からない。
きっとどっちもなんだろう。
でも次のステップに行く時だと感じてる。
わたしにとってはまさにこのタイミング!と思っている。
挑戦の連続。そこに山があるから登るんですね。
一昨日の夜13年寄り添ってきたインコ(ウィンター)が天使になりました。
わたしはその日長野にいて最期を見届けることができなかったけど、お母さんの手のひらの中で眠りについたそう。
それだけが唯一の救いです。
その知らせを受けて次の朝車を飛ばして家に帰った。
愛する娘の亡骸は綺麗だった羽は艶を失いとても軽かった。
なんどもいつもウィンターにしている口鳴らしを手の中で横たわっているウィンターにした。
起きるんじゃないか、また羽を震わせてむくむくと起き出すんじゃないか、そんなことをずっと考えていた。
ウィンターの羽はわたしの涙でさらに毛並みがなくなり、「ああ、きっとお母さんもこんな風にやったからウィンターの羽根が今こんなに荒くなってるんだな」と感じた。
なんでこんなことになってしまったのか今でも分からない。一昨日の午前中、ウィンターを動物病院に見せに行って院長先生からも「こんなに回復するとは思わなかった、正直びっくりです」と言われて完全に安心しきっていた。
前日まではとっても元気だったのに。
いったいぜんたいどうしてしまったんだろう。
そんな想いしか浮かんできません。
苦しかったよねきっと。でもその苦しむ姿すらわたしは見れなかった。
お母さんのウィンターの写真をみて一つ思ったことがある。
わたしはウィンターの写真は嘴がまだある姿までしか撮らず、カラスに嘴をやられたあとは写真をあまり撮らなかった。
でもお母さんが撮っていた写真には嘴がなくなった最近のウィンターで楽しそうに日中部屋を駆け回ったりしている写真や動画ばかり。
わたしはどこかで区別してしまっていたのかもしれない。
そんな自分に腹が立った。
嘴がなくなってもピンク色のかわいい舌で指についたフォーミュラをペロペロしてくれるウィンターはもういない。
小さな命だけど私たち家族にはかけがえのない大きな存在でした。
庭にお墓を作り、5〜6月になると毎年可愛い黄色の花を咲かせる宿根草を植えました。
「再生だよウィンターちゃん!」
力強くお母さんが土を埋めていた光景が忘れられない。
大好きで可愛くて愛おしくて仕方なかったウィンター。
きっと輪廻転成でわたしの子供として生まれ変わってきてくれる。
だからまた逢おうね!
うちに来てくれて心の底から、たくさんありがとう☺️
