「いやあ……今日のルージュバック、強かったですわ」
中川は兵頭に話しかけながら背中のリュックを下ろし、カウンターのそばのテーブル席のイスの上にそっと置いた。
何が入っているのかわからないが、大きくて重そうなリュックだ。
「京都競馬場のゴール前で見てましたけど、鳥肌が立ちましたわ」
「あれはモノが違うよ」
兵頭がそう答えると、そこへ水を入れたグラスを三つ持った店長がやってきた。
「ルージュバックはダービーに出ても勝てるかも知れませんね」
店長はグラスをテーブルの上にそっと置いた。
「店長、牝馬がダービーを勝ったら、二〇〇七年のウォッカ以来ですわ」
中川の言葉に、兵頭は「そこまではどうかな?」と首をかしげた。
兵頭には異論があるようだった。
「きさらぎ賞を勝った馬は、その後あまり出世しないことが多いからなあ。きさらぎ賞を勝ってダービー馬になった馬なんて、最近いたかな?」
「二〇〇三年のネオユニヴァースが最後ですわ。その前は確か一九九八年のスペシャルウィークやったと思います」
兵頭の質問に、中川は即答した。かなり競馬に詳しい男のようだ。
ひとみとあかりは中川の隣でマフラーを外し、コートを脱ぎはじめた。
「ほんまに今日は寒かったわあ」
赤いメガネをかけたままのひとみがダウンの長いコートを脱ぐと、その下はノースリーブで襟元がタートルネックになったニットの青いワンピースだった。
身体のラインがはっきりとわかる服で、ウエストのくびれと胸の丸いふくらみが目を引いた。
日本人女性にしては背の高いひとみだが、ガリガリのモデル体型ではない。
ほどよく肉のついた大人の女のカラダだ。
むきだしになった二の腕の白さがまぶしく見える。
なんぼ分厚いコート着てても、下がこんな服やったらそら寒いで。
「ひとみさん、今日はやっぱり指定席で観たほうが良かったんとちゃいますか?」
あかりもコートを脱ぎ、ひとみからコートを受け取って自分のと一緒に店長へ預けた。
あかりは白の厚手のニットに、赤いチェックのスカートを着ていた。
髪型はひとみと同じだが、小柄なあかりは童顔で身体つきも華奢だから、やっぱり学生みたいに見える。
「指定席やと、ガラス越しやからレースの臨場感がないわ。あかりちゃん、やっぱり寒くても外のスタンドで観なあかんて」
「外やったら大きな声で応援できますしね」
「そうそう。あかりちゃんも今日はえらい叫んでたなあ」
「もう、ひとみさんこそ、ルージュバックがんばれーって、すごい声出してましたよ」
「あかりちゃん、そんなこと言わんとってよ。恥ずかしいやんか」
足元もお揃いの黒いブーツだし、ひとみとあかりはまるで年の離れた姉妹のようだった。
「かんぱーい!」
テーブル席に座って、四人で乾杯した。
わたしと中川はビールで、ひとみとあかりはトスカーナの赤ワインを飲んだ。
兵頭は「年寄りは帰るわ。あんたはゆっくりしていきなさい」と言い残し、少し前に店を出た。
「圭介さん」と、ひとみが呼んだ。
「お酒はお強いんですか?」
「いや、ふだんはあんまり飲まないね」
よく考えたら、外で酒を飲むのはひさしぶりだ。
それに、こんな風に初対面の人たちと一緒に飲むなんて、いつ以来だろう?
「ひとみさんはね、すごい酒豪なんですよ」
あかりがそんなことを言い出した。
「もう、酒豪やなんて、あかりちゃん、ひどいわあ」
ひとみはあかりをたたく真似をした。
「お酒はたしなむ程度です」
「ウソウソ。ひとみさん、今日も寒いのに競馬場でビール二杯も飲んでたし」
「もう、あかりちゃん、いらんことばっかり言うて、嫌やわあ。あかりちゃんかて飲んでたやんか」
「わたしは一杯だけですよ。お酒弱いんで」
「造り酒屋の娘がよう言うわ」
店長が料理を運んできた。生ハムのピッツァとカプレーゼだ。
「わあー、おいしそう。圭介さん、カプレーゼお好きですか?」
「はい」
チーズもトマトも、わたしの好物だ。
「じゃあわたしが」
ひとみがカプレーゼをお皿に取り分けてくれた。
「もう、ひとみさんは指輪をしてない男の人にはやさしいんやから」
外見はおとなしそうだが、あかりは言いたいことをはっきり言う性格のようだ。
「わたしは誰にでも親切やの。ほら、あかりちゃんのも」
ひとみはカプレーゼをのせたお皿をあかりに渡した。
「はい、中川さんも」
「ぼくは一番最後ですか?」
中川が苦笑いしながら文句を言った。
「中川さんはいつも奥さんにやさしくしてもらってるでしょ。今日もまた愛妻弁当やったし」
「中川さん、奥さんとラブラブやからなあ」
あかりも中川をちゃかしはじめた。
「そんなことないですわ。もう結婚して五年目やし、子どももいてるし」
中川は顔を赤くして反論した。公務員だけに真面目な人なんだろうと思った。
(第21話へ続く)
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