父の葬儀は密葬でした。
そして戒名も不要。これは遺言に従ったものです。
16日の通夜、礼服に身を包んだ妻と私はゆったりとした気持ちで斎場に着くことができました。会社の同僚が気を利かして車を出してくださったのです。車載テレビでは、ちょうど「ミヤネ屋」が父の特集を組んでくれていました。
親戚の方々が集まってきました。私たち夫婦で挨拶しているところに、母がやってきました。
母は偉かった。
さぞや気落ちしているのではと心配していたのですが、母は違いました。髪の毛を染めてしっかりと頭を結った喪服の母は堂々としていました。華がある、とでもいうのでしょうか。足元がおぼつかないのは仕方ないとして、しっかりと皆さんにご挨拶している姿を見ます。
お坊さんのお説教が身に沁みます。
「この世は功徳の積み重ね・・・」、本当にそう思います。
その日の夜は、夫婦で近くのウエスティンに泊まりました。身体の不自由な夫婦をすべて受け入れてくれるホテル、なんて素晴らしいんだろうと思いました。入院中の自分たちへせめてものご褒美と考え、マッサージを呼びました。
東京の眩い夜景を見下ろす静かな部屋。ふかふかのベッド・・・・
全て、父が見守ってくれているような気がしました。
次の日、東京は雨模様だったでしょうか。
父は煙になりました。
父の長い「終活」は終わりました。
その2日後、安倍晋三自由民主党総裁は弔問で実家へ来ていただき、
父の仏壇の前で長い間、手をあわせていただきました。
生前から父は自分が入るお墓を用意しておりました。
墓碑には、「照于一隅」と刻まれています。
それは、最澄の言葉。各々が各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力していきなさい、という意味だそうです。
このお話を書き終わった今日は2013年9月6日です。
あの日から1年が経とうとしています。
この国のリーダーの方々、安倍総理、下村文科相、猪瀬都知事はブエノスアイレスの地で最後のオリンピック招致活動をされています。日本の誇りを取り戻すために。
結果がどうであれ、それは日本が再生していくプロセスだと思います。
そして全ての日本人が普段通りの日常生活を過ごし、それぞれの持ち場で努力しています。
我々は、少しだけ日本人としてのほこりを取り戻せたのではないでしょうか。そうでないと、父の終活は意味をなさないものになってしまう、
一国民である私はそう思うことにしています。
(終わり)