日本に帰ってきてからは何事もなかったように学校の先生をやっていた3人。学校側の依頼もあって、叔母たちは『音楽クラブ』なるものを創設し、放課後の時間を使って児童たちに音楽を教えるようにもなっていた。このクラブは結構な人気で、楽器の数が足りなくなって奪い合いが起こるほどだったらしい。地区のお祭りや老人ホームの慰問などもこなすようになり、評判が評判をよんで新聞にもその活動ぶりが取り上げられたこともあった。叔母たちはあくまで顧問なので、相変わらずライブを経験することもなく余った時間を使って、YMOのコピーに励んでいた。
 いつもどおりに授業を終わらせ、職員室でテストの採点などをしていたら、教頭先生が叔母たちを呼びに来た。
「お客さんですよ。」
誰だろうと考えながら、応接室の役割をしていた部屋に行ってみると…。
 “ボス”がいた。