阪急芦屋川駅を降り、芦屋川沿いに北へ歩く。
有名な高級住宅街を通る、緩やかな坂道をしばらく歩くと舗装のない道に出る。
あたりはすでに苔むした木や、シダ植物が茂っている。
休日であるので、親子や老夫婦の姿が目に付く。
誰かを気遣いながらと、一人では歩くのではスピードに差がでる。
何組もの人たちを追い抜いて歩いた。
11月の暖かい日である。
じわりと汗をかきはじめた頃、茶店に出くわした。
ジュースやアイスクリームに目が行く。
まだ先は長い。
再び歩を早める。
今回の目的は、六甲山頂に立つことである。
かつて山頂付近の土地は米軍のレーダー施設が占有しており、立ち入ることができなかった。
高校生の頃、登って来て引き返した思い出がある。

茶店のすぐ先に高座の滝がある。
今でさえ涼しげであるのに、夏であればオアシスのようであろう。
しばらく登るとロックガーデンに到達する。
岩場が剥き出しで、手を岩に引っ掛けながら登らなければならない。
かなり渋滞している。
中学校程度の子供たちや初老の婦人達の話し声が、賑やかである。
私のすぐ前を、小柄な婦人が登っている。
彼女が転げ落ちてこないことを祈りながら、余裕をもって後に続く。
鎖をもってよじ登ったり、狭い岩場の間をすり抜けるように登る。
岩場の一角によじ登り、芦屋から神戸の街並みを見渡す。
市街地の先に埋立地が広がり、その向うに海が広がっている。
すでに普通の山登り以上の趣向を堪能した気分である。
しかし、地図で確認すると、山頂へはまだ遠い。
(明日へ続く)
最近続けて概論書を読んでいる。
概論書を読むと自分がとても賢くなった気になる。
その学問領域のいいとこ取りだから、ページ毎に熟した果実が実っているようなものだ。
啓蒙主義の概論書を読んだ時など、その内容からまさに自分が啓蒙された。
啓蒙主義は、系譜からして人権思想と深くつながっているので、そのまま現代の課題である。
それにしても、こうした書物を読んで、あっちこっちに思いをはせるのはいいが、まるで形に残らない。
おいしいものを食い散らしているようなものである。
それに、おいしいものに栄養があるとも限らない。
気分がよくなるだけである。
でも、また今から読む。
彼が通勤途中に前を通る百貨店には、閉店直前になると全品105円セールをするパン屋がある。
ある日、彼は105円セールの時間帯に百貨店の前を通ったので、その店のパンを買うことにした。
126円程度のパンでは意味がないと、150円以上のパンを探した。
店内はひどい混雑で、身動きもできないほどである。
若い女性も多く、一度に食べきれないほど買っている。
彼は、なぜだろうと考えた。
その1 家族と食べる
その2 今日の晩ご飯と明日の朝ご飯
その3 一人で食べる
彼には、彼女達の事情がどれに該当するかはわからないが、その3であった場合は、食べ過ぎだと思った。
彼の今日の収穫は、ベーコンエピ(元値189円),ロングカスタード(元値157円),ホワイトシチューパン(元値157円)の,合計315円(元値503円)分のパンである。
サンドイッチ系も探したが、既に売れきれていたのが彼には残念である。
そして、大量に残るトマトカレーパンが捨てられてしまうのは良くない事であると考えながら、家路についた。
彼が行く会社には、組合と経営者の間で定められた残業時間の上限がある。
このまま残業を続けると、来月にもその上限を超えそうである。
今日、そのことで彼は管理職である部長と話をした。
話の結論は、他人にしてもらえる仕事はやってもらうこと、一週間の残業時間は10時間を越えないことである。
残業時間の上増しはなかった。
彼は、残念だった。
完成度の高いものを作るために、もうしばらく時間をかける必要があると感じていたからだ。
サービス残業をすることは簡単であるが、同じ部屋で一緒に残る部長がそれを許さない。
部長は、法令遵守と訳される「コンプライアンス」が、現代の企業にとって重要であり、個人がそれを破ることは企業にとって思わぬ損失を招きかねないからだと言う。
しかし、彼は、部長の本心をそれだけではないと思っている。
部長は、サービス残業をしてまで自分を犠牲にする必要はないと、部下をかばっているのだろう。
彼は、一週間だけ10時間の残業をしてみて、仕事の進捗を見、それからどうするかを考えることにした。
高層ビルの上に 月が浮かんでいる
弧を下に向けて 小さな舟のような
街の騒々しさに まるで知らん顔で
思いを乗せたら 零れてしまいそう
中央の人Aが右サイドの人Bにボールを預けたが、右サイドは前が詰まっていたので、少し引いた場所にいた人Cにボールを戻し、その人はダイレクトの浮き球で再び中央の人Aにボールを預け、中央の人Aは胸でトラップしたボールを左サイドDにパスを流し、そのボールを左サイドの人はダイレクトで前線に近い右サイドの人Eにサイドチェンジのパスをしたところ、中央に空いたスペースに侵入してきたCに落とし、てくれたらシュートできたのに。
この間数秒。
流れはまるでレアルマドリーなみ!
みんなから、Eは「空気読めよー!」と、ぎゃーぎゃー言われたとさ。

今日は、あばら骨の痛みが軽くなったので、サッカーをしてみました。
熱出ても行くから。
ちなみに上の展開で、ぼくはCでした。

2005/02/12 02:10 (Sat)
今年で優遇措置がなくなるため、全国で市町村合併が活発である。
愛知県の市町村合併で、新市名「南セントレア市」が発表された直後から抗議が相次ぎ、先日新市名が撤回された。
セントレアは、今年2月17日に開業する中部新空港の愛称で、セントラル(中央=中部?)とエアポートから来ているという。
新しい門出を新しい名所の名前でという気持ちはわかる。
最近はこのような例が多く、ひらがなの市名などは当たり前のようになった感がある。
一見して、柔らかく目ざわりがいいのかもしれない。
それに比べて漢字は、読めなかったり特殊な読みである場合もある。
しかし、地名に使われる漢字は一字にも、その地の由来が凝縮されていることがよくある。
ある土地には、山があり、川があり、島がある。
こうした歴史を背負った漢字の地名を一時の流行で捨ててしまうのは、軽率に思えてならない。