一時間も待っただろうか、突然名前を呼ばれ、店内に案内される。
一人なので先にいた何組かよりも早く入れた。
穴子飯特上1800円を注文。
1400円のものより多く穴子が乗っている。
待つこと数分。
ついにきた、穴子飯特上。
木の蓋を取ると、穴子が折り重なるように敷き詰められている。
下にあるご飯は見えず、およそ二十切れ程度か。
ちょうどご飯の上に穴子一切れをのせて食べられる大きさである。
ばくばくと食べた。
穴子は、その本来の味と炭火の風味が交じり合い、絶妙な食味を出している。
穴子はごはんと一緒に食べるほうが絶対においしい。
単純にご飯の上に穴子が乗ってる一品なのだが、飽きない味である。
ぼくは何でもおいしく思うほうだが、これはおいしい。

その後市内に戻り、原爆ドームに行く。
路面電車の原爆ドーム前という停留所で降りると、おもむろにそれはあった。
遠目からみて、周囲の街と違和感なく溶け込んでいる。
周囲のビルの方がよほど大きい。
大きな建築物を見慣れている都会に住む人は、原爆ドームを大きく感じることはないだろう。
不謹慎ではあるが、街のアートとしてありうると思った。
しかし、建物に近づき、その周囲にちらばる瓦礫を見て印象は大きく変わった。
思わず建物の真上を見上げた。
ここで原子爆弾が炸裂したのだ。
原子爆弾が投下されたのは、真夏のよく晴れた朝であったという。
ぼくは、その青空を想像した。
すべての人がいつもと同じ毎日を始めようとしている時だっただろう。
しかし、一発の爆弾が街を壊滅させた。
そして、その破滅的な力を受けてこの建物が残っていることが奇跡的だと思った。
建物をのぞいた中には階段が見える。
窓の大きさも、扉の高さも、階段の様子も、ぼくたちが普段生活するサイズと変わらない。
当時の人々が生活していたことを思い起こさせる。
原子爆弾は、ぼくらの生活とどのような関係を持ったかを、永久にこの建物に刻んだのだ。

その後、広島記念資料館に行った。
こうした展示がなされていることは、人類が苦しい過去を見つめる良心を持っていることを形にしているように感じた。
展示内容への感想は人それぞれだろうが、一度は行くべきだと思う。

記念資料館を出て、川のほとりを歩きながら、再び原爆ドームを見る。
川のほとりに佇むその姿は新しい街に埋もれながら、広島の真ん中にあり続けるのだと思った。