大阪市:朝鮮学校に土地50年間無償貸与

 大阪市が学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市東成区)に対し、中大阪朝鮮初級学校(東成区東中本3)の用地として約4960平方メートルの市有地を少なくとも50年間にわたって無償で貸与し続けていることが分かった。市は「歴史的背景もあって続いてきたが、今の社会情勢には即していない」として、有償化や買い取りを求めて協議を進めている。

 市契約管財局によると、同校は戦後、朝鮮人学校として設立された。1950年に在日朝鮮人が通う市立中学となり、61年に朝鮮学園が引き継いだ。それ以降、無償貸与が続いているという。校舎は学園が建設した。

 市の試算では、この土地を学校用に10年契約で貸与した場合、年間の賃料は約230万円という。

 兵庫県尼崎市も19日、尼崎朝鮮初中級学校を運営する兵庫朝鮮学園に約7850平方メートルの市有地を相場の100分の1以下の年間約28万円で貸していたとして、値上げや買い取りを交渉していく考えを明らかにした。40年以上、使用料を見直していなかった。兵庫県伊丹市も66年から、伊丹朝鮮初級学校を運営する同学園に市有地約4100平方メートルを1カ月あたり約4万円で貸しており、使用料の標準額は約74万円という。市管財課は「安いという認識はある。値上げを検討したい」としている。【茶谷亮、生野由佳】

(引用:毎日新聞 2011年12月20日 13時05分)

尼崎市が朝鮮学校優遇 市有地40年以上も賃料1/100

 尼崎朝鮮初中級学校(兵庫県尼崎市)を運営する「兵庫朝鮮学園」が、同市の市有地約7850平方メートルを同校用地として、年間約28万円の格安賃料で使用し続けていることが18日、分かった。格安賃料は40年以上も見直されないまま続いており、同市は値上げを前提に賃料改定を検討している。

 同市によると、同校は終戦直後、在日朝鮮人らが通う市立小学校の分校として設立されたが、その後在日朝鮮人らが自主運営を要望。昭和41年3月に県知事の認可を受けた兵庫朝鮮学園が4月から分校を引き継ぐ形で運営を始めた。その際、同市と学園の間で、校舎などの建物は学園が買収し、用地は1坪当たり1カ月10円で市が学園に貸与することで合意したという。

 この合意によると、賃料は年間約28万円となるが、同市の公有財産規則に基づき、現在の固定資産税仮評価額などと合わせて標準賃料を算出すると年間約2900万円になる。

 賃料が改定されなかった経緯について、市の関係者は「(在日朝鮮人に対する)補助金的な意味合いもあったのかもしれない」としているが、明確な理由はないという。同市公有財産課は「(過去の経緯などから)安い賃料を継続してきたが、値上げや用地買い取りも含めて交渉を進めたい」としている。

(引用:産経ニュース 2011年12月19日 11時36分)


尼崎市有地、相場100分の1で朝鮮学校に賃貸

 兵庫県尼崎市が学校法人「兵庫朝鮮学園」(神戸市長田区)に対し、尼崎朝鮮初中級学校(尼崎市)の敷地となる市有地(約7850平方メートル)を相場の約100分の1の賃料で貸していることがわかった。

 1966年の契約から45年間、値上げされていないという。

 市によると、同年に廃校した市立小の運営を同法人に移管した際、敷地を市条例に基づき低額で貸し付け、一坪当たり1か月10円とし、敷地を年28万円で貸す契約を結んだ。

 しかし、値上げ交渉がまとまらないまま時間が経過。市の公有財産規則に基づき計算すると、現在の賃料の相場は約2892万円という。市は「粘り強く値上げや売却の申し入れを続けるしかない」としている。

(引用:読売新聞 2011年12月20日12時08分)


兵庫朝鮮学園に伊丹市も格安貸与 建物、備品は無償譲渡

 伊丹市が学校法人「兵庫朝鮮学園」(神戸市)に対し、伊丹朝鮮初級学校(伊丹市桑津)の用地として市有地約4150平方メートルを相場の約20分の1の賃料で貸していたことが20日、分かった。格安の賃貸は兵庫朝鮮学園が市立小学校分校を引き継いで自主運営を始めた昭和41年当時から続いており、校舎と机などの備品は無償で譲渡していた。

 市管財課によると、戦後設立された朝鮮人学校の閉鎖に伴い、昭和24年、在日朝鮮人が通う市立神津小桑津分校が開校した。41年に朝鮮初級学校が創設された際、市側は兵庫朝鮮学園に学校を自主運営してもらうため、条例に準じて市有地約4150平方メートルを月額6300円(1平方メートル当たり約1・5円)の格安で賃貸するとともに、木造平屋建て約400平方メートルの校舎などを無償譲渡したという。

 賃貸契約はその後、59年まで4回見直し、現行の月額約4万円(同約10円)に値上げしたが、市有地の標準賃料は74万5600円で約20分の1の優遇措置となっている。

 同課は「今後、用地の売却や賃料の値上げを検討する」としている。

 朝鮮学校に対する自治体の格安用地賃貸問題では、尼崎市が尼崎朝鮮初中級学校に45年間、市有地を学校用地として標準賃料の約100分の1の格安賃料で提供していたことがすでに判明している。

(引用:産経ニュース 2011年12月21日 02時16分)


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 伊丹市の件に関しては私が何年も前から指摘してきたことです。市有地の使用料が標準額ではないんじゃないかと。もちろん広報誌などの予算など見ても詳しく書いてないのでほとんどの市民は知りません。一部の市議が市議会や委員会で指摘した議事録でやっと判るのが現状でした。本来なら北朝鮮による拉致事件発覚時に出てきてもおかしくないのですがやっと大手マスコミが書いてくれました。それでも肝心なところは書いてない!読者をある意見に誘導しようという意図があるのか、書けるのがこれが限界なのか知りませんが残念でなりません。昭和24年までの大阪と兵庫の歴史を端折られてもねぇ。

 伊丹の朝鮮学校の場合、阪神大震災後の校舎の建て替えで補助でてるよね?空調整備費もでてるよね?図書の充実補助も出してるよね?伊丹市は就学補助が近隣都市に比べて金額低かったのは土地の使用料を安くした分を考慮してるからで、就学補助と減額分合わせたら就学補助最高額出してるのと一緒なんだよね?

 地方行政が国家の安全保障上問題のある国と親しい機関と表裏一体となってる団体に公金出すのだから、テロ支援国が自分の国って笑えない状態ですわ。


昭和20年

 8月 終戦 これ以降GHQの輸送計画開始まで自由帰鮮で3万1000人が朝鮮半島へ帰る。

 国語(朝鮮語)講習会・講習所が各地で開かれる

 ※目的は帰国者に母国語(朝鮮語)を話せるようにするため

昭和21年

 1月下旬 兵庫県において朝鮮人・台湾人の一般犯罪に対する日本の裁判権を確認

 春頃 国語講習会が学校としての形態を備える

 ※一部の独自の施設を持つものと日本の公立学校に間借りするものとがあった。 

 12月 GHQによる輸送計画完了。兵庫県下の在住者で帰鮮したのは1万1500人。

昭和22年

 3月 教育基本法、学校教育法が公布される

 5月 外国人登録令が公布される

昭和23年

 1月24日付 文部省「朝鮮人設立学校の取扱いについて」各府県知事あてに通牒

 3月1日付 文部省「各種学校の取扱いについて」追牒

 ※内容は「朝鮮人学校は、私立小学校または中学校としての設立手続きをとって正式の認可を受けるか、または各種学校としての認可を受けよ」というもの

 ※兵庫県における朝鮮人学校は四三校(生徒数七四六三)で、そのうち朝連経営(北鮮系)のものが四一校(生徒数七一六二)もあるのに対し、建青経営(南鮮系)のものはわずかに二校(生徒数三〇一)だった。

 →実情は、そのうちのどれをとっても認可がおりる条件と実体を備えておらず、閉鎖以外にとるべき道はなかった。

 4月10日 兵庫県は上記通牒を受け県下の朝鮮人学校へ閉鎖命令を出す、公立学校施設を使用しているものは十二日までに立退くよう勧告した

 ※兵庫軍政部の勧告もあった

 4月14日 閉鎖命令に不満のあった神戸・姫路の4校の代表者40名が県庁に指令撤回を陳情、徹夜で座り込みを続ける

 4月15日 上記に応援を得て気勢を上げるに至ったため、生田警察署が住居侵入現行犯で70名を検挙

 (以下交渉するが結論を得るに至らず)  

 4月21日 神戸市長は裁判所に対し市内3校に校舎返還の仮処分を申請

 4月23日 仮処分を一斉に執行(1校で激しい妨害に会い執行不能)

 4月24日 午前9時30分から県庁知事室において執行不能の1校の仮処分執行問題と26日に予定されている朝鮮人の抗議集会対策を協議

 →協議中に県庁内外に集まっていた朝鮮人約100名が知事応接室に乱入、什器を破壊して境の壁を打ち破り知事室へなだれこむ

 →会議中の三宅警備部長・小山保安部長はそれぞれ国警県本部・神戸市警察局に電話で逮捕鎮圧を指令

 →電話線の切断、什器の破壊を続け、先に検挙した朝鮮人70名の身柄釈放、学校明け渡し命令の撤回を迫った

 →交渉は数をたのむ強要・脅迫になり、完全な監禁状態の中、一同の生命の危険を感じた市丸検事正は、止むなく要求を容れて七〇名の釈放を約し、次席検事を退場させて釈放手続きをとらせた

 →ついで、岸田知事が命令撤回の文書を交付し、古山警察局長もまた当日の朝鮮人の行為に対し、検挙をしないことを応諾するのやむなきに至った

 →この間、前記両部長の指令によって出動した神戸市警、国警応援計一一三六名の警察部隊は、県庁内外にあふれた朝鮮人にさえぎられ、内部の状況が全く不明のため如何ともし難い状態に置かれ、手の下しようがなかった。

 午後5時ごろ

 それぞれの責任者から約束をとりつけた交渉団は知事室を出て、県庁周辺に集まった朝鮮人六〇〇〇人に対し、約一時間にわたって交渉経過報告を行ない、喚声をあげて全員引揚げた。

 夜

  知事をはじめとする関係者および甲南・芦屋・西宮の神戸基地管内各自治体警察長は神戸基地司令部に招致され、憲兵司令官シュミット中佐から、同基地司令官メノア代将の発した非常事態宣言を伝達され、八項目にわたる軍命令を受けた

 →神戸市警および国警県本部では直ちに警備本部を設けて、非常召集を発令、国警、神戸市警計二二六三名が出動してM・Pに協力、一斉検挙に着手した。

 4月26日 第八軍司令官アイケルバーガー中将が横浜から空路来神し、「暴力と強制のもとで行われた知事や検事正との協定や約束は一切無効であり、かつ、このたびの事件は明らかに占領政策および占領軍の安全に脅威を及ぼす行為であるので、軍事委員会または軍事裁判所に付すことを命じた」という旨の声明を発表した

 4月28日 午後3時 非常事態宣言解除される

 4月29日 この日までに検挙した人員は一五九〇人であり、最終的には一七三二人にのぼった

 ※取り調べの結果罪状により軍事委員会・軍事裁判所・神戸地裁で裁判に付される

昭和25年

 6月 朝鮮戦争勃発

新聞報道で知りましたが宝塚市は教育委員会委員を公募しています。

宝塚市企画経営部政策室政策推進課HP

 公募するのはいいけど6月30日に新聞報道、7月1日~20日が応募期間というのは、出来レースくさいと勘繰ってしまうのは私だけでしょうか。こんな急に告知されても、子育て世代を排除しているようにも思われても仕方がありませんね。仕事してる人なら辛うじて自営業、子育てしている人でも子供がある程度手のかからない学年になってる人やパートなど仕事してない人ぐらいしか応募できないのでは?まぁ団塊世代など時間に余裕のある人なら興味があれば応募してくれるでしょうが・・・。せめて応募期間は1ヶ月必要なのでは。

公募委員の任期終了後の経歴も要チェックですぞ。
 例えば、某市で男女共同参画関係(公募)で活躍→NPOで活躍(多文化共生)→某県県会議員選挙に某党公認で立候補(当選)という人もいます。
 今後は公募行政委員やNPOが政治への人の供給源の一つとなっていくのかもしれませんね。
みんなの党、伊丹の小西市議を除名
 みんなの党兵庫県第6区支部は25日、4月にあった統一地方選の伊丹市議選で、同党公認候補として初当選した小西彦治市議(39)を除名処分にした、と発表した。党の政策に反する市議と新会派を結成したことが理由という。

 杉田水脈支部長によると、小西市議が加わった新会派には、保育所民営化に反対する市議らが含まれていた。民営化に賛成する党と主張が対立する上、党の了承を得ないまま新会派入りを自身のブログで発表したため、24日の党本部役員会で除名が決まったという。

 杉田支部長は「公約のすり合わせをせず新会派を組むのは、投票してくれた人への裏切り行為」と断じた。

 小西議員は「1人では議会での質問も制限されるため、考え方が近い人と会派を組んだ。党のために頑張ろうと考えた末の決断だったが、受け入れられず残念だ」と話している。

 同党は、伊丹市議選と同日に投開票された西宮、芦屋、宝塚市議選でも初めて1議席ずつを獲得したばかりだった。

(霍見真一郎)   (2011/05/26 08:30 神戸新聞より)


みんなの党:小西・伊丹市議を除名 /兵庫 (毎日新聞 2011年5月26日 地方版より)
「みんな」名乗らぬ会派は党規定違反 伊丹市議を除名 (2011年5月26日5時3分 朝日新聞より)

 有権者にとって、みんなの党の規約は当たり前のことだと思います。選挙公報で某党から支持、推薦、公認、元党職員、元~議員秘書と書くだけで当選後にその党や応援・支援団体の気配を消して活動している議員・首長が多く、立候補者が本当に「無党派」なのか、どこの党派に属しているのか有権者が情報を収集しなければいけない現状を考えるとこの規約はあって当然、むしろ所属政党を隠すような党派名を名乗るのはどうかと考えます。隠していても広報媒体で所属団体を表記していればまだいい方で、市議の活動報告など家に配布されるのはせいぜい多くても2~3人、インターネット上で探してHPなど出てくればまだ良い方で所属政党の会派のHPだけの場合もありますが、全く情報が収集できない議員もいます。

 会派が規定人数に達してなければ、現状では議会活動は制限されてしまいますが、「みんなの党」という看板に期待して投票した有権者の思いはどうなってしまうのでしょうか。

 今回の市議選では世代交代が起きたと思いますが、その反面あまりにもイメージ戦略が先行してね?と思いました。
 以前普天間問題を特集していたが、今回のも前回同様違和感があった。ネット検索でその片鱗が見えるとは・・・。
 というわけで今回紹介するのは 2010年7月26日関西テレビ スーパーニュース アンカー の18時台の特集 です。リンク先でほとんど書き起こされている内容が放送されました。一部省略されていたところを紹介すると・・・。

1:宜野湾市伊波市長が立命館大学で講演した際の以下の台詞の()内が省略された部分↓
「なぜ日本では米軍基地が邪魔者扱いされるのか、決定的な違いがある。米国の中では基地は地域住民に迷惑をかけては存在できません。だけど日本の場合は米軍がしたい放題。規制措置をつくっても、ひとこと必ずこう書かれている。『米軍の(運用上の)必要の時にはその限りでない』と。つまり、米軍が必要だと言えば許される」

2:元外務省国際情報局長で、現在大学で安全保障を教える孫崎享さんの紹介の際授業(ゼミ?)で生徒に話しかけているシーンの台詞↓
「『抑止力』ということを鳩山総理がいったんだけれども、その抑止力ってのは一体何を言ってるのかと・・・」

3:映像終了後のスタジオでの山本浩之アナウンサーの台詞↓
 「そうですね、沖縄県民の方以外の私たちも含めてみんなやっぱり真剣に考えないといけない問題なのに。これ、あの普天間に替わる基地が沖縄県内に絶対反対という人、それからやむなしという人。これどっちも一理あるんですよ、突き詰めて考えると。
 だけどたとえば、川内さんのように民主党の中に182名、与党でそれだけの数って相当な力があります。だけどそれを主張するだけでなくってあなた方が行動しないことには、これは沖縄の県民はじめとして日本人みんな納得しないですよ。だから、本当にその気持ちがあるなら行動すべきだし、だって鳩山前政権てのはこの問題で倒れたんですから、民主党の中でそれを主張し続けるでしたらきちんとそれを行動で示してほしいと僕は思います。迷走を重ねた末にですね、世界で一番危険な基地をですよね。結局普天間から基地を移動することはなくならなかったとそんな最悪な事態だけは絶対止めてほしいと思います。」


あとは多少の言い回しの違いだけだったけど気になったことをいくつかあげると、
 孫崎享氏みたいなのが元外務省国際情報局長!?と思ったらWikipedia に項目ある人だったとは・・・。軍事に疎いのかと思ったら元防衛大教授。もうわけがわからない。外交とインテリジェンスのスペシャリストなんて紹介してる人もいるけど、この特集では軍事はずぶの素人みたいな印象しか受けなかった。
 いきなりでてきた浦島悦子氏。かるくググったらAmazonに著者略歴があったので引用。「1948年、鹿児島県川内市に生まれる。90年から沖縄に住み、文筆活動を続ける。とくに98年以降は居住地区に突然降って湧いた海上基地建設をめぐる住 民運動に深くかかわり、そのただ中からルポ、エッセイを発表してきた。91年、「闇の彼方へ」で新沖縄文学賞佳作、98年、「羽地大川は死んだ」で週刊金曜日ルポルタージュ大賞報告文学賞受賞」・・・janjanなどで何本か記事を書いたりしてるフリーライターのようで。90年に沖縄に移住して基地反対運動してるフリーライター!?沖縄生まれでずっと住んでるかのように特集内では語ってたからビックリだよ!これ絶対お茶の間の皆さん だまされてるわ!
 川内博史衆議院議員は民主党議員らしく、今でも大衆に心地いい事しか言わない。特集内では「まだ国外移設させるんです」って言ってるけど、日米共同声明発表後もまだこんなこと言ってたら与党議員として無責任過ぎる。安全保障はどう考えてるんでしょうね。
 宜野湾市の主張は 週刊オブイェクト 2010年4月20日 宜野湾市・伊波洋一市長の「沖縄の海兵隊は全てグアムに移転する」という妄想プレゼンテーション  にて論破されています。
 どう考えても検証や裏取りしてない・・・、大丈夫か関西テレビ?でも、わざとらしい節もあるし、特集製作した人の願望が強く出たと考えるべきか?
  ネット検索しても特集が最初に掲載された日(2010年3月29日)の簡単な感想しか見つからなかった、もしかして関西版だけでしか掲載されなかったのか?というわけで備忘録として 読売新聞2010年3月30日夕刊掲載 『見聞録2010 日韓きずなの旅2 日本人妻 苦難の人生』 を書き起こしておきます。

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 フェリーから降りた翌日、釜山市東莱[トンネ]区のアパートに国田房子さん(95)を訪ねた。国田さんは戦中、戦後の混乱期に朝鮮出身者の夫について海峡を渡った日本人妻たちの親睦会「釜山芙蓉会」の会長を努める。
 「日韓関係もすっかり変わったけれどね・・・・・・。」国田さんは、過ぎた時代をたぐり寄せ、語り始めた。
 終戦直後、1945年の秋、国田さんは郷里の四国で漢方薬を学ぶ朝鮮人の夫とともに釜山郊外に移り住んだ。35年間の日本支配から解放された韓国では独立の熱気の中で反日感情に火がついた。日本人を名乗れず、日本語を話すと、「国に帰れ」と罵声を浴びた。「国交もない。夫と別れて乳飲み子を置いて帰れますか」
 終戦前後に韓国に渡り帰国の道を閉ざされた日本人妻は約5000人。理解ある夫に支えられた国田さんは恵まれていた。悲惨な話は数え切れなかった。日本人がいると聞くと、訪ねては励ました。遊廓に売り飛ばされた女性もいた。やっと訪ねあてても韓国人だと言い張る者も。朝鮮戦争(50~53年)で夫を失い路頭に迷う妻たちも多かった。
 敗戦から20年経た1965年、ようやく日韓基本条約が結ばれ国交ができた。妻たちの永住帰国、自由往来に希望の灯がともったその時期に、今は同会顧問として活動を支える崔秉大[チェビヨンデ]さん(80)が、釜山に開かれた日本総領事館職員に採用された。日本人妻たちの実態を知り愕然とした。国田さんと二人三脚での調査、支援が本格化した。
 崔さん自身、40年暮れ、日本へ働きに出た両親を追って、11歳で慶尚南道から広島県へ渡った経験がある。半島出身者への激しい差別が待っていた。出身を隠し「月山」姓を名乗った。「差別を体験したから、そのつらさが身にしみた」
 二人で妻たちをひとりひとり訪ねては帰国の意思を問う。国交回復も知らず、身元を隠し続けて世を去った女性もいた。なぜもっと早く救えなかったのか。むなしさがこみ上げた。
 日本人妻のうち、約400人が望んで帰国した。「祖国を捨てたんだろ」と故郷で冷たくあしらわれ、韓国に戻った例もある。
 「個人に何の罪があるんだ」と崔さん。「時代だよ。二度とあっちゃならないけれど」と国田さん。
 釜山芙蓉会の会員は30人ほどになった。韓国での生活を選んで、みな80歳を越した。国田さん宅での月例会に、杖をつき顔を出すのも10人余りとなった。
 「そろそろ桜だね」。国田さんは花の便りに歳月を数えてきた。「今年は、みな一緒に慶州で桜を見ようか」。そう考えている。

写真の説明=国田房子さん(中央左)は、崔秉大さん(同右)とともに、集まった釜山芙蓉会の会員たちと談笑する。つらい時代は遠い過去となった(12日、韓国・釜山で)=田中秀敏撮影

(読売新聞2010年3月30日夕刊より)
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 戦後に朝鮮半島に渡ったのなら記事にある「祖国を捨てたんだろ」と言う内地の人たちの気持ちも分らんでもない。内地では在日朝鮮人は1947年5月までは日本国籍を保持するとされてきたが、それまでに自警団の結成や国鉄の運行妨害など日本の法令を守ろうとしない者がいた。(さらに1946年2月までは第三国人の裁判権が不明確だった)そんな中で生きてきた人に酷いこと言うななんてだれが言えるだろうか。また日本人妻たちが朝鮮半島で記事にあるような待遇で生きてきたなどと内地の人間が当時知る術があっただろうか。
 余りに少ない戦後の朝鮮半島での出来事、引き揚げについても同じですがあまりにも私たちの目にふれることが少なすぎます。半島有事や竹島に関する有事が起こった場合の覚悟まで決めて朝鮮・韓国籍の人と国際結婚してる人がほとんどいないと予想されるだけに、先輩達の人生に無関心なのはどうかと思います。
 
 記事にでてくる崔秉大さんの人生を紹介してる「釜山港物語 在韓日本人妻を支えた崔秉大の八十年」(北出明 著、ISBN978-4-7845-0584-5)が2009年に発行されています。