私は都内のある女子校に通っていました。

中高一貫校で、先生達や友達にも恵まれ楽しい6年間を過ごしました。


ですが楽しいだけで何かに一生懸命没頭したり努力をしたという思い出はありません。



成績はいつも下の下。


時には保護者を呼ばれたりして三者面談をさせられた苦い思い出があります。


それくらいひどい生徒でした。


中学入試でスーパー選抜クラスに入ったものの、あまりにも成績が悪く高3の時に進学クラスに落とされました。


それが部活を中学で辞め、日々を何も考えることなく過ごし遊びまくった私の末路でした。



そんな6年間を過ごしたから当たり前ではありますが、現役時には受かると思っていたところまで全て全落ち。焦って受けた後期も補欠止まりで結局連絡は来ませんでした。



初めて落ちたのはとある女子大でした。その時はただひたすら涙が出ました。しかし次々と突きつけられる不合格の文字に慣れてしまったのか、もはや涙すら出なくなった自分が悔しかった。



自分は泣けるほどの努力もしてこなかったんだ。そう思いました。



現役の時の第一志望は明治大学経営学部。


高2の時に初めて明治のオープンキャンパスに行って、これといった理由はないけれどなぜかすごく明治に行きたい!と思った記憶があります。


それは外観が綺麗だったからなのか、当時目にした明大生に憧れたのか、はたまた大学の雰囲気を気に入ったからなのかは分かりませんが、とにかく明治に行きたいと思ったんです。




でも、それに値する努力はしなかった。



2クラスだけでクラス替えがされてきたスーパー選抜から進学クラスになって新しい友達が増え、元々流されやすい性格の私はすぐに流されました。


しかしそれはもちろん友達が悪い訳ではなく、自分の意識の低さが全ての原因でした。


後期を受けた後、いや、前期が全部落ちたと分かった時から家族に何度も何度も浪人の話を持ちかけられました。


しかし目の前のことしか見えていなかった私は、あと一年なんて絶対無理!と思い後期を受けさせてもらいました。


でも、その後期でさえ落ちた。


いや、落ちてよかったんです。


下手に受かってそこに行っていたらまた今までと同じように4年間を過ごしていたと思うから。


浪人をしたくないあまり後期に必死になっていた私は、もし大学に行ったら絶対に就職に有利な資格を取ると本気で思っていました。



でも今になって思えば、一年間の辛抱さえ出来ない人間が人より上に立てるような資格を取れるわけありません。


だから、何度話しても聞く耳を持たなかったどうしようもない私に、それでも諦めず何度も浪人することを勧めてくれた両親と兄には感謝してもしきれません。



浪人を決めた時はもう一度明治の経営を第一志望にするつもりでしたが、1つ上のランクを目指さないと絶対に受からないと言われ、早稲田の文化構想を第一志望にしました。


まだまだそれに見合う実力は兼ね備えていませんが、必ず11月くらいまでにはそのレベルに到達できるように努力します。



本当に長くなりましたが、もしここまで読んでくださった方がいたら感謝しかありません。


このブログは


6年間学年ビリだった女子が早稲田大学に合格する話

(ビリギャル風)


にすることを誓います。



#早大受験物語愛梨