リーダー。。
会社でも、家庭でも
導き手になり、率先して指南役になろう、、
、としないこと
『オレ(ワタシ)が人生を教えてやろう!』は違う、、
勘違いリーダーにならないこと
リーダー。優秀な上司、有能な人をイメージ、、
、としないこと
良妻賢母。みたいな観念も捨てること
自分が正しい方を教えてやる!は違う、、
自分のやり方、生き方が正しい!は違う、、
必ずしも。。有能であることは必要なく
むしろ、他人の行動基準を非難したり
邪魔することなく、理解してやんわりと調整する
『私が導いてやらないと!』は違う、、
『私が指導しないと!』は違う、、
『私が管理しないと!』は違う、、
⇒行き着く先は《教祖様》役!( ゜o゜)ダメダメよ
もっとひどくなると布教活動してる自覚ないまま
自分教を広めて子分たちを手懐けよう!と画策
無意識に自分に似た行動取る人を特別扱いする、、
単なる《自分教の布教する自己満》やん、、(>_<")
同じ事してくれる子分に気分よくなる思考の猛毒!!
で、案外身近にいる人にやりがち。。
指導という名の自分基準の押し付けや
管理という名の自分基準の支配や
導きという名の自分基準の同じ生き方を
愛情からだ!と勘違いして押し売りしていないか
下の人間が萎縮してしまうような行動は違う、、
下の人間の生き方を理解しようと寄り添う姿勢と
わからないなりの話をきく姿勢が大切
ワンマンな暴君スタイルなら誰もついてこない
求められてないのに押し付ける観念は暴力
強いリーダー。がいい!のは違う、、
優れたリーダー。がいい!のは違う、、
それはイメージ
他人を許容できる器と調整をやんわり俯瞰した視点で
見守る、必要ならば動く、くらいでいい
歴史上の王でさえも有能な下の人間に支えられてる
王そのものは何もかも導き有能である必要もない
強くならなくちゃ!言い聞かせなくちゃ!は違う、、
《他人を調整》しよう!と圧力かけるのでなく
母親も、上司も、同じように
優れたリーダーになろう!としなくていい
自分の心をやんわりと許容している状態で
他を受け付けることができる余裕さを
持てるような《自分を調整》していればいい
ベクトル、向ける相手は常に自分に。。