毒りんご
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信仰と依存

父は臆病で、虎に見せかけた小動物で

母親は宇宙人で、歳をとった子どもだ。


子どもの頃、

カルト宗教団体の定例会に通っていた。

親が熱心な信者だったからだ。


私はそこの託児所に預けられ、

友だちと遊んで過ごす訳だが

昼間から集まり夜まで長い時だと1日近くかけて

教祖のお祈りを聞く。


他にも教義や歌などあるのかもしれないが、

当時時間潰しながら映し出されている画面を見た中ではその光景しか思い出されない。


神教と仏教の唱え言葉をよく耳にして

掻い摘んで暗唱できるくらいには聞いてきた。



つまりそれを唱えれば、

或いは一緒に祈れば

悪きものは浄化され、幸運になるのだろう。



大人になった今も厄年や年始などのタイミングで祈祷をするが、普段信仰しない人たちがあれをやるのは、

祈祷をすることで悪きものが浄化した気持ちになれるから体感するためにお金と時間を使ってその儀式をやる。


(実際はどうなのかはわからないが)


それに近い感覚を日常的にやるのが宗教であり

神聖さのある時間に触れることで

より幸福に、更なる高みに行けるような感覚になれるのだろう。



実際のところは、

神に縋ることで幸福になれると逃避している

似たような人の集まりと言うのが

子どもながらに感じた感想であり、

大人になって、客観的に親を見た実感である。



だいたい宗教の経典はいいことが書いてある。

人として大切なことがかいてある。

それを読み込むことで、暗記することで

より高みになれる気になっているのが信者であり、

それはテストの点数のために問題と答えを暗記して挑む学生と通じるところがある。


そしてキモなのが

信者同士も傷の舐め合いがあるから

辞められない。抜け出せない。

緩い空間に自己承認を埋めた気になってしまう。


つまりは自分で承認を埋められてない人間が

集まることで居場所を見つけた気になってしまうのだ。

まるで麻薬のよう。



教祖は特別な力を宿していて、

祈りオーラを放つことで力を貰えると思っている。

父は自分は特別と装いたい人間だったからか、自分にもオーラが出せると思い込んでいた。


母も父からは特別な力を持ってると信じて疑わなかった。


身体が不調な時、父のオーラによって頭痛やら腹痛やらが和らぐと思い込まされよくオーラ治療をうけていた。

不調な部分に手をかざすだけのものだ。


風邪を引いた時は教祖の歌が収録されたカセットテープを聞かされ、聞くことで病が浄化されるらしい。

ふざけた歌を暗記するくらい聞かされていた。


どれも気の持ちような何も信憑性もない治療だが、

父と母は効果があると本気で思い込んでいた。



私も子どもながらにその異質さに疑問をもっていたが、大きくなるにつれて不快感に変わり、親自体から避けるようになっていった。



思春期真っ盛りに人間関係が上手くいかず苦しんでいた時、

親から宗教の特別セミナーに何度も誘われた。

そこに行けば本当の友だちができるという

何も解決もしない、中身のない誘い文句に辟易とした。


その間に自己破産など

家庭内で大きな出来事があるのだが

親はいつの間にか宗教を変えたのか、

違う集まりに通うようになっていた。


親が言うには宗教ではなく心理の勉強をしているらしいのだが、場所を変えただけで何ら変わらない。


心の勉強をしてきてもうかなりの年月が過ぎたが

今だに母は子どもの気持ちがわからない。

父も最後まで虎の風呂敷を広げたまま亡くなっていった。


宗教活動を熱心に取り組んでも、

心の勉強をしても

子どもたちの心は一向にわからないようだ。



宗教に限らず、

依存から幸せになることはない。

他力本願、悪いことがあったら人のせい、

すべて外からの影響に左右され

これらは意味をなさない。


向かうのは自分に。

自分を見つめ直して

軸を持つこと。


それが幸せへの第一歩。

洗脳について

洗脳とは何か、


最もそうな言葉を並べて、

指し示された方向に向かわせる

集団心理を操る

操作


この人についていけば得をする

考えなくて済む

みんながいいといってるからいいもの

暗黙のポジティブの強要

同調し、同じ思想に染まることで

自分自身も次元上昇したかのような選民感


集団と同調することで認められた気持ちを得たい

承 承認欲求を刺激する言葉を並べて

他者に承認欲求を埋めようとする

依存の関係を作る


洗脳の力がある人は

目力がある

間を恐れない

自信のある力強い声

心からの声のように自分も洗脳している

距離が近い

反論を恐れない

自分の中に絶対的な正解を持っている



自己犠牲た浄化

今回のことで得たもの

気づきは何か


自己犠牲はいけない

ギブと自己犠牲は違う

近すぎると拗れる

ほど良き距離感が大事


仲良くすることで得たのは

横のつながり、ビジネス社会の交友経験、

年上との交流機会。

知らなかった世界を知れたこと、横のつながりを得れたのはとてもよかった。

あとは嫌われなくないという感情が強く、

好かれるために飴をあげる状態になっていたと思う




違和感を感じるのは、

ママ友の会のような暗黙の拘束感。

本意じゃなくても義理で参加しなきゃいけない

会話が楽しくない

楽しくないのはつまり自分も楽しくさせてないと言うことで、相手も同じように思っている


これらの違和感から避けてきたけど、

距離が近かった分のギャップが激しかったのだと思う


残念だったのはこれまでのギブの関係の中で、

結構尽くしてきたと思っていたけど、

今回のしくじりを目を伏せず、怒りを持って

SNSに取り上げたことで、

ちっともこれまでのことは思われてなかったんだと感じたところ


前から自分の思うように動かない人、自分を見ない人に対しての排斥思考が強かった。


いいこと言ってる風の言葉があまり心に入ってこない、キレイゴトとして共感できない


お金をかけるところの価値観が

私にはまだ合わない


周りの人も人をお金、もしくは願望実現のためのコマかなにかと思っているような感じがする

自分のために人の心を利用するような感じ

ネットワークビジネスってそう言うものなんだろう



これからもその人と仲良くしていきたいか。

これは正直もう離れていいと思ってる。

これ以上学ぶことはないし、

SNSで書き込みするような人と仲良くはできない。

弁明しないと分かり合えないような関係はお互い疲れるだけだから離れた方がいい。


人間関係も浄化して入れ替える時期なんだと思う



もう似たようなことを繰り返さないために

反省点は


みんなを楽しませるという使命感から、必死すぎて周りが見えてなかった

事前の打ち合わせなどのコミュニケーションを怠ったところ

お互いの目指してるビジョンを確認できてなく、

推測で甘えてしまったところ

事前準備を疎かにしてしまったところ

段取りとかもっと考えておけばよかった

相手から話を引き出すことを念頭におく

自分の話は3割くらいを意識する

自分のことばかりに見えてしまった点

声の発声練習、テンションの上げ方を意図的にできるようにしたい。

テイカー気質の人には即座に離れる

話してて面白い、また会いたいと思わない人は無理して会う必要はない

程よく距離感のあるコミュニケーションをとる

やりすぎない、施しすぎない


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