個人的には飽きっぽいのでしばらくやってませんでしたが、久しぶりに更新という事で・・・。
てか、毎日更新されている方の体力が信じれない・・・。

まぁ、今回はつれづれと思った事を描いていきます。


授業の合間に一服して、ふと空を見上げるわけですよ。
街中の空なんて普段は意識してみようなんて思いませんよね?
まぁ、タバコ吸ってる時にその煙が立ち上る様をぼんやりと眺めていたんですよ・・。
もくもくと昇っていく白い煙を眺めると、飛行機が音を立てて飛び去っていく。
空は、蒼く澄んでいて夏影が近付いているかのように、夏を思わせる雲が浮かんでいる。

すると、あーこんなとこで俺はいったい何やってんだろーって思ってしまったんですよ。
こんなに晴れて、すがすがしい天気の中、部屋にこもって勉強か―ってね。

俺も、飛行機につられ見知らず地へと旅がしたいなーって

そんな、センチメンタルな気持ちになってしまったらなんかやるせなくなってしまって・・・。

まぁ、何が言いたいのかって言うと、大学生活の1・2年のやつは存分に楽しめよってことかなー
特に、周りがやってるから とか 大学生らしい とかそんな理由で物事を取り組むのはあほらしいからね。

とある変わった友人は、世間が形作った価値観にとらわれたくないとか呟いてたのをふと思い出しました。

そんな、くだらない様な何処にでもあるようなそんなお話し・・。

人間は、恋をすれば今までの日常が違ってみえるとも言います。
まぁ、実際この話も分からないものでもない。

気になる人がいる場所へ行くことは、それは胸が躍らんばかりの事でしょう。

結局、人間の世界認識の能力は各人の価値観に根差したものだって事だと思う。
だから、人によって幸せの定義や正義のあり方が異なるのではないでしょうか。

日常が退屈なひとは、自分との付き合い方を変えてみるのも一興かもしれません。
ニーチェ曰く「、日々の生活を新鮮に感じるには、自分が日々成長していかなければいけない」

なんていってますしね。



とある大学生によるつぶやき


最近、寒いですね。
パソコンを打つ手も凍えちゃって困ってます(汗

今日読んだ本が偉く人間の悪意に満ちたもので
色々考えさせられるモノでした。
改めて自分の日常を振りかえって考えてしまいましたww

このように読んだ後に何かしらの精神的な影響を与える書物を
「奇書」といったりします。
皆さんも何かしらそのような本に出会った事があるのではないでしょうか?
泉鏡花の本などもそれに当てはまるかもしれませんね。

しかしながら、未だに思春期である学生諸君はあまり影響を受けて欲しくはないと
思ってしまいます。
その時期は、非常に多感な時期なので、良いようにも悪いようにも簡単に作用してしまいます。
ですので、自分の中で一回よく噛締めてみる方が良いかもしれません。


さて、尺も余りましたので
昔書いたレポートを載せていきます。
哲学に関するモノでしたので、興味がある方だけ読んでいただければ・・





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                            哲学を考えてみて・・・


老荘思想的な懐疑論は、私個人に大きな影響を与えたことを覚えている。
他人とは、世界とは、ひいては自分とはいったい何なのか。
この思想を知ることで、普段当たり前に見ていた日常の風景が豹変した。

 ここで行き着いた結論が、人間の確率論的な考え方である。
つまりは、仮に目の前の人物は実在していないかもしれないが、それが現実にあり得る確率は自分の過去の
経験上限りなくゼロに近いものであり、また、過去の経験上、自分の世界に影響を及ぼすものでもないので、
その可能性は無視できるといったものである。人間は知らず知らずうちに、このような確率を取捨選択して考
えているように思える。むろん、それは無意識上のことであると思うが。知らぬが仏という言葉があるが、
まさにそのとおりであり、懐疑論もそれを知らなければ、考えることもすまい。(現実的に情報が氾濫して
いる時代ではありえないとおもうが)すなわち、人間は自分の経験上獲得したものの中で生きているのであ
り、仮に世界がどうあろうと本人が気づかない限りは、その世界は存在しえないという意味である。
世界は一つではなく、人の数だけ存在し、その狭い世界の中で私たちは生きているのである。

 また、よく考えるのが私たちの普段使っている「言葉」が非常にあいまいなものであるということだ。
哲学では、よく言葉の上で物事の真・偽を考察している場面が多々見られるが(自分が過去読んだ中で)、
人間というものは不完全なものであり、その不完全なものが作り出した「言葉」において概念的な問題を
取り扱うには限度が存在すると思う。いうなれば、3段論法で有名な「(
A)すべての人間は死すべきも
のである(
B)ソクラテスは人間である(C)故にソクラテスは死すべきものである」

数学的に表すと、(A)=(B)=(C)と言ったところか。しかしながら、現在ではこの論法があまり
現実性がないと指摘されているとおり、一見言葉上では、正しく見えても、すべての側面で当てはまらない
ことが現実では多くある。また、言葉の意味というものは、各個人ごとに経験上に出来上がった感覚的意味
を含み、それが共有されているとも限らない。故に、哲学は言葉ではなく、直接概念で語るべきだとおもう。
(言葉を使わないと概念を表せないではないかという疑問は十二分に承知している)。
よって、概念を共有することは不可能であり、哲学を一般化することはできないと思う。

                人の命の価値

有名な言葉の一つに、「人の命は地球よりおもい」という戯言がある。
これをいう人は、利己主義者か個人主義者だと思っているが、この人たちは前提を間違えている。
つまりは、地球があって人間は在るは真であるが、人間があって地球があるは科学的に真ではない

では、人の価値はどのように測れるか、それは個人のその人に関する関心の深さに起因し、
つまりは一概に決まった価値観は存在しないと思う。では、無関係な人の価値を測るにはどうすればよいか。
それは、相対的なものでどちらの人物がより多くの人の利益と成り得るかに起因すると思う。

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まぁ、人それぞれの考え方があるようですが、哲学は面白いものですよ。
はまってしまうと本当にやばいですがね。
ですので、何事も適度がいいかと・・(汗

皆さんも、普段の何気ない生活の中で哲学してみてはいかがでしょうか。

きっと、より知的な日々が過ごせるかもですよ(笑)

それではまた逢いましょう。さようならノシ





追伸
テストがホントにやばいかもww


とある大学生のつぶやき

いやぁー朝早く目が覚めてしまってやることがないので
ちょい書いていきまーす。

さて、朝早くおきてツイッターを覗いてみると
なんと友人がもう起きてるではありませんか(驚)
その友人は、1限にテストがあるそうなので、徹夜してたんですがね。

その、いろんな意味でやばい友人に無理やり絡んで
邪魔してきましたww
・・・すまん、まじで。僕も今日はテストがあるから良いじゃない(はーと

それは、さておき友達と絡むのも限度があるので
久しぶりに朝ごはんを作ってみました。

献立は・・
味噌汁 ご飯 目玉焼き ソーセージ
ってなわけで典型的な日本の朝の風景を再現してみました。

いやね、この味噌汁はね、納豆を入れてみたわけですよ。

みそしるになっとう? そんなばかな!!

と感じる人がいるかもしれませんが意外とおいしいですよ。
下の弟にも好評でした。

まぁ、まずいとか言ったら・・・後は言わなくても分かりますよね(笑
ね、トンボ鉛筆の人事さん?

冗談も置いといて、最近では男の子も料理をつくれる人が多いようですね、
むしろ、僕の周りは女の子よりも男の子の方が料理が上手なんだが・・・・

昔の考え方は、どうかと思いますが、せめて料理ぐらいできな(rya
いや、なんでもないです。すみません。

というわけで、本日の朝の報告を終えます。

いやぁーテスト頑張ってくっかぁぁぁぁ!!