あの日、
多くの人々の人生を一瞬にして変えてしまった日。


もう9年の月日が経ってしまったんだなぁ。
いや、まだ9年なのかもしれない。


幸いにも、私の身内には
人命を喪う被害はなかったけれど
時間が経つにつれ
テレビに流れた、
これまでに目にしたことのなかった
映像に震撼した。
信じられないことが、起こっていた。


私は会社で仕事をしていて、
あれ、地震?と感じた次の瞬間には
経験したことのない大きな揺れに変わり
必死にデスクの下に潜り込んだ。


あまりに大きな揺れで
あぁ、床が抜けて閉じ込められて
生き埋めになっちゃうのかなと
冷静に考えた記憶がある。


揺れが収まってデスクから出た時は
震えが止まらなかった。


それでも、私がいたのは東京で
震度は5強。


東北では想像のつかない酷い事態になっていたことを
知ったのはもっと後だった。


とりあえず、会社では倒れたpcや
床に散らばった書類なんかを片付けながら
家族に電話したけれど
携帯は全く繋がらず、会社の固定電話から
連絡が取れた。


会社が解散になったのは17時ごろ。
でも電車は完全に止まってしまい、
帰る術はなかった。

1階が自社のレストランだったので
食べ物を調達していたら
2階のホールに従業員はみんな集められて
カレーを食べたっけ。
ホールのテレビで、初めて
被災地の凄まじい映像を目の当たりにした。


こういう時って
一刻も早く家に帰りたくなる。

本当は会社にいた方が安全なのにね。


20時ごろに会社の先輩の知り合いが車に乗せてくれることになり、帰宅の途に着いた。

ところが道路は大渋滞。
会社の最寄駅から数駅間を進むのに
3時間くらいかかっていた。

それでもなんとか自宅にたどり着いたのは
朝の4時ごろだった。


生まれてこのかた大きな災害に見舞われた経験もなく、平和に生活できるのが当たり前だった。


忘れられない日になった。




頑張ろう、日本。

あの頃のスローガン。

今も被災地で変わらずに頑張ってる人がいる。


あの日を風化させないよう
自分を戒めて
しっかり生きよう。


今朝、近くの小学校には
日の丸が掲げられていた。