赤坂のテレビ局を辞めて、自分は静岡に帰った。

当時、何も臆することなく、介護の仕事を選んだのは、我ながら素晴らしい選択であり、運命だったのではないか?と今振り返るとそう思う。

 

まだ、介護が今ほどクローズアップされる前の時代で、自分は、デイサービスに勤めることになった。

正確には、父が作ったデイサービスで働くことにした。

もしかしたら、その時にレールは敷かれていたのかもしれない。

 

デイサービスは、公的の介護保険で利用出来るサービスで、お風呂目的や、簡単な機能回復訓練、

他の人達と交流し、少しでも、認知症患者やご利用者が楽しんでいただく為の通所介護施設だ。

あとは、日頃、介護されている家族の為に息抜きの時間を提供する目的もある。

 

一応、2ヶ月間研修し、介護2級ヘルパーを取得して、挑んだのだが、やはり机の上での勉強と実習だけでは知るはずもない世界があった。

こんなに認知症の患者さんがいることに正直驚いた。

でも、おばあちゃん子だった自分にとっては、この世界がなんとなく懐かしく思えた。

認知症だからって、すべての記憶が失われるわけでなく、人間の可能性に限界はないと思えるぐらいに、障害がある人でも楽しく会話を楽しめることを知った。

 

ある方に、華のあるテレビの世界の人が、なんでこんな介護なんてやるの?と言われたことがある、

でも、自分にとってはテレビの時よりも楽しい世界が、そこにはあったのだ。

いかに、今まで介護や福祉の世界をへんてこな固定観念で見ていたかがよくわかった。

 

人に感動してもらいたい、笑ってもらいたい!という想いで、テレビ番組を作っていてもその当時は、視聴率という数字だけでしか、判断するものはなかった。

ただ、このデイサービスでは、自分が話すと、目の前でみんなが大笑いしてくれたり、時には涙をみせてくれたり。その一瞬の出来事がキラキラと脳裏に刻まれる。

 

ある認知症患者のご婦人が珍しく。唇に紅を引いてきた。

「Fさん、今日はなんだかセクシーな唇だね」と話すと

「あら?そうかしら」とその翌日には、頬紅をつけてきた。

Fさんは「今日はどうかしら?」と笑顔いっぱいで話す。

「今日は、なんか少女のようなやさしい瞳だね」と返すと

その翌日、Fさんは、すごい姿で現れるのであった。

眉毛から、まぶたにかけて、太く赤いリップが引かれていた。

「Fさん、今日は、歌舞伎座から来たみたいで・・・」

周りの方々が我慢できずに笑い出した。

Fさんも、鏡をみて、「自分でもびっくりだわ」と笑っていた。

 

もう13年も前のことだが、このワクワクは、今でも継続中だ。

                        文責 よしべえ