私は、基金のお願いをしてますが、集まった基金は殺処分対象の子を救い出し里親様に命を繋ぐお金を預かっているとの認識ですが、

以前某任意団体の代表が、自分自身がSNSで支援金を募って集めたお金だから自分のお金だと言っているのを聞き驚いた経緯が在りますが、この考え方が正しいのでしょうか?

愛の肉球会は法人団体ですから、私は愛の肉球会の監事として基金のお願いをしているのですから、集まった基金は愛の肉球会が支援者様から預かってるお金と認識しています。

私たちスタッフを気遣って人間に対して物資を送ってくださいました時には、在り難く頂戴しています。

毎月の収支報告を見て頂けましたら一目瞭然に解るかと思いますが、関東などへお届けの祭に、里親様の気遣いで帰りにご飯でもと言って、譲渡費用以外に飯代を頂いたりしますが、それも全て愛の肉球会が保護活動のために頂いた基金として処理させていただいてます。

保護活動に対していただいた基金は全て活動に対して愛の肉球会が預かってるお金です。

その大切なお金を集めてた人のお金だと言い張れる人の感覚が怖いです。

 

私の考える寄付金とは、愛の肉球会の場合、

命を助けて幸せにしてあげてと愛の肉球会が支援してくださいます方々より預かったお金だと認識してます。

支援者様と愛の肉球会における契約ですよね。

センターから命を救い出してきて里親様へ命を繋ぐこれで契約が遂行され始めて基金が愛の肉球会のお金になると理解してます。

契約を遂行するまでは預かってるお金ですよね。

 

寄付金・基金・支援金呼び方は様々ですが、このお金に対して、国に明確な定義を示して欲しいです。

愛の肉球会では、以前施設購入積み立て基金をお願いしておりましたが、施設を購入した時点で契約は遂行できたと考えます。

人間同士の約束は全て契約だと考えれば有限実行して信頼関係を気付く事が一番大切だと肝に銘じて今後も活動して行きます。

愛の肉球会では、施設購入目標額の六分の一の時点で施設を購入しました。

殺処分数も激減させました。

全て有限実行しています。

 

私が思うには、自分のお金も人のお金も解らない様な人には支援しない事、それだけの事です。

 

皆様は寄付金は誰のお金だと考えますか?