昨年の12月、私は京都、奈良、大阪に修学旅行に行った。
あいにく天気が悪く、京都での自主研修は折りたたみ傘を手放せなかった。自主研修の計画のためのリサーチはかなり念入りにしていた。私はどうしても、かつての古典の先生が話していた苔むす寺社を見てみたかった。私は親友と二人で行動した。嵐山の寺社を3箇所ほど廻った。写真部である私は雨というひどいコンディションの中、竹林、苔の絨毯、紅葉の落葉、地蔵に心を踊らせていた。泣きそうになるほど感動していた。
一方友人はつまらないとボヤいて、機嫌が悪かった。自主研修の計画私に全部丸投げしたくせに文句は言うのか、と私もいらついていた。
時々降ってくる冬の雨が、いっそう不満を増大させた。修学旅行という一大イベントでさえ、こんな憂き目に遭わなければいけないのか、と情けなかった。

《和歌》
苔筵 もとより生ふる さがのゆゑ
雨によくあふ我が身をぞ嘆く

〈現代語訳〉
苔の筵(むしろ)が昔から生えている嵯峨野ゆえに、生まれながらの苔のような日陰者の性質ゆえに、
雨によく遭遇してしまう雨のよく似合う私の身の上を
嘆くことよ。(意訳)

〈掛詞〉
さがのゆゑ→性(さが)…性質
      嵯峨野(さがの)…嵐山にある地名
あふ→逢ふ…遭遇する、出くわす
   合ふ…似合う