どんなにいい環境に産まれても、
周りから見たら幸せそうでも、
本人が幸せだと感じていなければ
幸せではないのです。
当たり前なことを書いていますが、
かの有名な釈迦(ゴータマ・シッダールタ)も
そのひとりでした。
シャカ族の王子として産まれ、
欲しいものはなんでも与えられ、
何不自由なく生きていました。
それでも彼は、
老い・病・死によって
苦しむ人たちを見て、
ほんとうの幸せとはなにか
どうしたら心安らかに居られるか
ということを出家者の修行に
答えがあると見出し、
29歳の頃に出家しました。
釈迦はブッダガヤにある
菩提樹の木の下で悟りを開きました。
それは、
この世は思う通りにならず
苦しいことばかりである
すべては移りゆくもので
すべては影響し合っている
ということでした。
釈迦が何の疑問も持たず
苦を知らずにお城のなかで生きていたら、
昨今の仏教は存在しなかった
かもしれません。
人に魂の目的のひとつに
魂の成長があります。
魂の成長のために
人々は旅をし、体験をし、
経験を積むのです。
体験こそが人生の醍醐味であり、
どれだけ多くの体験をするかによって
今世以降の魂の行き先も
変わってきます。
このお話はまたいつかのタイミングで
書きますね。
わたしたちの本質である
姿形の無い魂が
わざわざ地球に存在するために
波動の重い身体という入れ物を
選んで産まれてくる理由は、
身体があることで
五感を通して味わい、
体験することができるから。
釈迦からの学びは
どんな環境下にあっても
究極の冒険者であれ
ということなのです。


