私がバレエの先生になったワケ〜その2 | 愛花バレエ教室日記〜座右の銘は能天気(^▽^)明るく楽しく・・・美しくいきましょう〜

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長崎市勝山町の愛花バレエ教室の平原愛子による日々の出来事の日ainohanaballet記です。
発表会等の舞台情報、お稽古の中でのおもしろい出来事などなど、お伝えできたらと思います。

その1が意外に反響があり、びっくりキョロキョロ
わーい\(^o^)/(笑)

鳳先生のご親族様からもメッセージがいただけて、とても嬉しいです笑い泣き
ありがとうございますキラキラ

ということで・・・その2に続きます\(^o^)/


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神様からのギフトは、私が小学6年生のある日、届きました✨

父からこんな質問をされたのです。

「鳳先生が、あなたに鳳の跡継ぎになってほしいって言っていらっしゃるけど、あなたはどう思う?」って。

そして、父はこう続けました。

「まだ小学6年生なのに、線路を敷いてしまうのは可哀想に感じて伝えるのを迷ったけど、先生があなたの熱意や才能を見ておっしゃっていただいた事だから、伝えるよ。でも、絶対やらなきゃいけないと思わないでいいよ。どう思う?」と。

私がその時、思った事はただ1つ。

これで、いつバレエを辞めなきゃいけないんだろうって心配しなくて済むラブ

でした(笑)

小学6年生当時の私は、本当にバレエに熱心で、自分で言うのも難ですが、意欲が半端なかったのは確かでしたニコニコ
意欲が半端なかった理由は、初めて少人数で作品を踊る事になっていたからです。
それまでは、なぜか私達の学年は群舞ばかりで、いわゆる十把一からげ的な作品ばかりだったのでした(笑)
下の学年は、いつも少人数で踊る作品で、羨ましい気持ちで見学していたので、少人数で踊る作品とわかった時は本当に嬉しかったのを、今でも覚えています。
ちなみに当時は2学年で20数人の生徒がいるような時代でした。

とにかく毎日毎日、家で暇さえあれば練習。
レッスン中も、自分の踊りの順番がくるのが待ち遠しく、前の出番の子の踊りが半分ぐらいになると、自然に立って待っているぐらいでした(笑)

鳳先生も毎回かなり褒めてくださいましたおねがい
発表会では、他の生徒さんのお母様方や、お手伝いにいらっしゃっていた他の教室の先生方からもたくさん褒めていただき、本当に嬉しかったのを覚えています。

父からの問いに、
「もちろんやるに決まってる!」と即答し、
そこから私は、私の人生を「バレエの先生になる」設定にしてしまった気がします(笑)

そんな私に父は、
「あなたの人生、あなたの自由にしなさい。ただし、学校の勉強もきちんとしてもらわなくては、困るからね。やるべきことをやらないなら、やりたいことは応援しないよ」とだけ申し渡しました。
ただ、父が、この私の意向を鳳先生にお伝えしたか、しなかったかは、実は不明です口笛


私は人から頭が悪い、勉強ができないと思われるのは、嫌いなタイプでしたので、必要なだけ勉学に励み(決して必要以上にはやらなかったですが  笑)、応援してもらう為の義務は果たしつつ、好きなだけ好きなようにバレエを頑張れました流れ星

鳳バレエは私が高校1年生の時に閉所してしまったため、私は鳳先生との約束を果たすことはできませんでしたが、鳳先生がこの時、私を認めてくれた事が、無謀にも21歳で愛花バレエ教室を立ち上げてしまえる原動力になりました。


長いですが、まだまだ続きます爆笑
続きはその3で✏️



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