100の母親物語

100の母親物語

母として今を生きる女性の100の小さな物語を書いていきます。
100できたら本にして出します。

来てくださってありがとうございます。

私は4児の母です。

自分が母になって、母って何だろう、
ずっと考えてきました。

自分の母、私の友達、色んな母の姿を
追って書いていくことに
「母」を知る手がかりがあるような気がして、
100の小さな母の物語を書いていきます。

子供の立場から見た母の話、母になったあなたの話、
あなたが知る「母の物語」をもしよかったら、
教えてください。

小さな物語にして書き溜めて
物語を100集めて、本にしたいと思います。




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愛ちゃん、
「愛」って素敵な名前だね。

どんな思いで、名前を付けられたのか、
聞いてみたこと、ある?

女の子か、男の子かわからなかったけれど、
「この子はきっと愛ちゃんと呼ばれる子になる」と
お母さんが直感的に思って、ずっと「愛ちゃん」と
おなかに向かって語りかけていて、
そうしたら、本当に女の子だった。

みんなから愛されて、
みんなに愛情を与える人になってほしい。
そう思ってつけてくれたみたい。
私もこの名前、大好き。

でも愛ちゃんは、辛かったんだ。
愛ちゃんはお母さんにとって
お姉さんみたいな役を演じていたから。

象徴的な出来事、思いだせるかな。

田舎のおばあちゃん家へいく車の中。
小学生の私は、助手席。
運転するお父さんが眠くならないように
疲れないように、地図を持ちながら
話しかけてた。

後ろの席でお母さんは、お化粧を直したり
くつろいていた。

幼稚園の頃から、「私がしっかりしなきゃ」
と思ってた。
若くて、かわいくて、自分のことしか見えていないお母さん。
そして仕事でストレスをためて、家でも発散できないお父さん。

一発触発、お父さんとお母さんがぶつからないように
愛ちゃんはいつもいつもバランスをとっていたんだ。

私が聞き分けが良くて、いい子でいれば
みんな仲良くなれる。
本当は、もっとこうしたい、わがまま言いたい、
自由にしていても受け入れてもらいたかった。

でもね、「言っても無駄だ。」という思いが強くて、
いつのまにか、諦めてしまってた。

私の心の中にいる「大人ぶっていた子供」が、
10年前、15年前のまま変わらず、
「自分を表現して、受け入れてもらって、
成長して、はやく大人になりたい。」
と叫んでるの。

愛ちゃんは100のうち、今は10の愛ちゃんだと言う。

100の愛ちゃんってどんな愛ちゃんなんだろう。

周りに安心感を与えられるような、
笑顔で穏やかで、
悩みを相談したいと思われるような人。

愛ちゃんは言いながら、はっ!とした。

それって、あの頃の私・・・。

役割を変えられなくて、辛かった愛ちゃん。

役割は変える必要がなかったんだ。

「そのままの自分を受け入れる」と考えた時に、
抑え込んでいる感情=そのままの自分
としか考えてなかったけど、
これまでバランスを取ろうとしてきたスタンスも、
そのままの自分、だったんだ。

愛ちゃんは、愛そのもの。
小さな頃も、今だって、これからだって。

それでも、心の中にある、寂しさや、怒り。

よその子と私を比較しては、
「うちの子供は優秀。あの子より成績が良い。
愛がうちの子供で良かった」
なんて言われたくなかった。
できてもできなくても生きてていいって
うちの子でいていいよって言ってほしかった。

学校でいじめられた時、
「お前が弱いからだ」とか
「これくらいで泣いてたら社会に出て生きていけないぞ」
とか、絶対言ってほしくなかった。
「つらいな」「お前は間違ってない」「大丈夫、信じてるよ。」
と受け止めてほしかった。聞いてほしかった。

すぐに感情的にならないで、
ひとまず状況を聞いてほしい。思いを聞いてほしい。
頭ごなしに「お前が悪い」なんて言わないで、
どうしたらいいか、一緒に考えてほしい。
いつでも相談していいよって言ってほしい。
帰ってきな、待ってるよって言ってほしい。


幼いころから今まで、ほとんど変わらない気持ち。
ちゃんとこの傷は癒えるのかなぁ。


ちょっと不安げな愛ちゃん。
私は幼き愛ちゃんに手紙を書いてみた。


~愛おしい幼き愛ちゃん~

持ったまま生きるのは辛かったね。
大人になろうと頑張ってたね。
よく頑張ったね。
お母さんを喜ばせたかった、優しい子だったね。
受け取って欲しかったね。
今の愛姉ちゃんが、あなたのことを話してくれてるよ。
あなたの気持ちを分かってくれてるよ。
誰よりも、わかってくれてるよ。
愛おしい幼き愛ちゃん、出ておいで。
上手く言おうとしなくていいんだよ。
ここには愛ちゃんが言えなかった気持ちを
いっぱい分かってくれる今の愛姉ちゃんがいるから。


ねえ、愛ちゃん、
悲しかった気持ち、一緒にゴミ箱に捨てて蹴っ飛ばしちゃおうか。

「寂しいよ!」
私も一緒に言葉を続けた。「寂しいんだバッカヤロー!」

思いつくまま言ってみて、お団子みたいに丸めて
捨てちゃって、見えなくなるまで蹴っ飛ばした。

愛ちゃんは淡々と話す自分が感情を出せない自分だと
思ってた。
でも本当は話してしていてもちゃんと吐き出せている
とわかって、安心したんだ。

はしゃいだり失敗したりできる人の方が、
自分を表現できてていいな、私はできない!と
思うことばっかりだった。でも、私もちゃんと
表現できてたんだ、って。


愛ちゃんは、最後にこう言った。

~心の中に思い出してみて
その時、その時に
やってきたことは間違いじゃなかった。~と。

愛ちゃんはそのままで100の愛ちゃんだったんだ。
お母さんはそれを知っていたんだね。
名前って本当に不思議だ。
幼なじみのおばちゃんと、自転車ですれ違った。
「おばちゃん!」
おばちゃんは引き返してきてくれた。
「あら、元気?」
「うん」
「えらい大きなったなぁ。可愛いらしいなぁ。」
(自転車の後ろのせに座っている私の子供を見て)

「おばちゃん、あの子元気してるん?」

「なんや知らん、忙しいらしいわ。
 いっこも電話もかかってきやへん」

「そっかぁ」

「でもな、私、あの子一人っ子でも産んでよかったと
 思ってるねん。どこかで生きてる思うだけで
 なんか幸せやし、頑張ろうって思うねん」

おばちゃんはそう言って、
財布の中から、数えもせず、無造作に出したお札を
私の子供のポケットにぐしゃぁと押し込んで去って
いった。

おばちゃんは、事情があって
孫の顔をみることができなくなった。

「また、おばちゃん家に遊びにおいでな。」

自転車に足引っ掛けてカッチャン、カッチャン、
おばちゃんは大病を何度もしたのに、軽快な後ろ姿
だった。
お、おばちゃん、え、5千円も!




 


昨日はとても疲れていました。
口は半開きで、目は半閉じで、
顔の筋肉は重力に逆らう力を失って
垂れ下がっているような。

(今日は早く寝るぞ。)

携帯の目覚ましを合わせます。

~9時間37分後にアラームをセットしました。~

(9時間!私9時間も寝れる・・)
重力から解かれて、顔が思わずニヤリ。

逆にテンション上がって寝つきが悪くなったりして。

でも寝ました。

そんな夜でも、
夜中は、3度くらい目が覚めます。

子供が布団を着ていないかも、と、
気になるからです。

案の定、お姉ちゃん以外の下3人が
布団を蹴散らして、
小さく縮まって寝ていました。

(まったく、自分で調節してよ)
とか思いながら、寝顔が可愛いです。

朝、目覚めて、ふとあることを思い出しました。

私が結婚して3年目の頃、
主人と喧嘩をして
娘を連れて家を出た夜。

実家にも帰れず、途方にくれて、
一人暮らしの友達を訪ねました。

友達はこころよく迎えてくれました。

昔話をしているうちに娘は寝ちゃいました。

友達は子供をご主人に託して、
家を出ました。

もう2度と子供たちと合わない約束をして。

その時私は長女の出産を終えたばかりで
まだ病院にいました。

病院の公衆電話から、彼女に電話しました。

「子供は手放したらあかん」
私は彼女に言いました。

彼女は、
「お金がないのにどうやって育てるの?
あんたには私の気持ち、分かれへん」

彼女とはそれ以来、会っていませんでした。

そして久しぶりに会ったのは、
私が彼女を頼ったその夜・・。

彼女は写真を見せてくれました。

「これは息子の誕生日に撮った写真」

写真に子供は写っていません。

写真には彼女と今の彼女が付き合ってる彼、
そして丸い小さなケーキにローソク。

「子供の誕生日には、
ケーキを買って誕生日の歌を歌うねん。
でも一人では寂しいから、
一緒に誰かに祝ってもらうねん。」

翌日、彼女は、
「今日は帰りや」
と言って仕事にでかけました。


私も母親。

そして、
彼女も母親なんだ・・・。


よんでくれてありがとう。(^O^)/