大好きな祖母が人生をおひらきにして
半年が経ちました。
とても、存在の大きな人だったので
もう会えないことが
信じられなくて、いまだに
ぐっとつまるものがあります。
救急車の音を聞くと胸がきゅっとなり
日に1度は、鼻の奥がツーンとなって
こぼれるまではいかない涙が目を潤して行く感じの日々な、半年後です
どんなときも、絶対に味方でいてくれる確信があって、すごく愛して大切にしてくれた人がいなくなったのですから…
さびしくて当然ですよね。
いないことが信じられない。
しかし、もういないのかと思うことの繰り返し。
しばらくはまだ、続くのかなぁ。
祖母の最後のこと
振り返ってみたら
長々と書いてしまいました。
記録として残します。
。゜⋆。゜⋆
ずっと一人暮らしだった祖母が
2016年の1月
背中の痛みなどを訴えて
思うように動けなくなってしまいました。
この時は原因がわからなくて
かかりつけの内科に行ってみたり
皮膚科に行ってみたり
どうしたんだろう??と不思議に思っていました。
からだがつらく、家事や動作が出来なくなってしまったのでお手伝いのために
夜は毎日順番に誰かが泊まりこんで様子を見ていました。
わたしはその日夜勤で家におらず
わたしの母が祖母宅に泊まっていた夜
耐えられない激痛が祖母を襲い
救急搬送されました。
そこから四カ月の入院生活。
いつも元気な祖母でしたから
ちょっと疲れているだけだろうと
わたしはあまり心配していなかった。
認めたくない心理が働いてか、また大げさに言ってるだけだろうと思い込んだりしていた。
いろいろ検査をしてもすぐに原因が
わからずにいて
さすがにおかしいかなと思い出した頃
ようやく、わかった病名は
感染性の大動脈瘤でした。
これは、治癒のとても難しい動脈瘤。
できた場所も、とてもよくなかった。
残された時間は、2.3時間から1週間だろうと告げられてしまいました。
血管がかさぶた一枚で、なんとか塞がっている状態だ、と。
結局、余命宣告よりもはるかに
祖母は4ヶ月も頑張ってくれました。
おかげで、わたしたちは
祖母とのお別れの時間をたくさん
過ごすことができました。
しかし、数時間、と宣告を受けたときは
すごく動揺して
本当にあきらめるしかないのか…??
と、すごく悩んだ。
病名はこの時本人には
伝えていなかったけれど
車で2時間のところにある専門病院の情報をもらう。
移動するだけでも体力が辛いだろうし
悩んだけれど
本人の「行く」という意思を確認出来たので
ドクターカーで向かい診てもらいましたが
結果は、やはり…
為す術はありませんでした。
移動し終わった頃連絡をもらい
慌ててその病院に直行。
結果を聞いて…
本当に悲しかった。
ERで薬で眠る祖母を見て
その場は離れなくちゃならない辛さといったらなかったです。
うちの祖母は91歳でした。
身内びいきでなくとても綺麗な人で
頭もすごくしっかりしていた。
おそらく親類の中で誰よりも。
頭は変わらずしっかりしている祖母と会話ができるのは嬉しかったけれど
痛みや辛さ、状況もしっかりわかってしまうのは、なんて残酷なんだろうと思うところもありました。
今思えば
きっと祖母はわかっていたと思うけれど
すごく、神経を使いました。
毎日毎日、子どもたちは
面会時間はずっと祖母につきっきり
狭い病室に次々と訪れて
なんて甘い家族なんだろうと病院からは思われていたかもしれません。
わたしも休みの日は病院に通い
仕事中も、いつ、連絡が入ってしまうのか
いつもヒヤヒヤしていました。
おばあちゃんのそばにいたくて仕方がなくて、仕事中も気が気じゃなく『おばあちゃんは大丈夫だから、仕事の時間はちゃんと仕事のこと考えなさい』と彼(今は夫になりました)にたしなめられたこともありました。
1月はわたしの国家試験も数日後に控えていて、受験をやめようと考えたりもしましましたが、わからないことで先送りにするよりは、やるべきことを準備しておく方がおばあちゃんも喜ぶだろうと考えて
がんばって、受験もしました。
そして、とにかく、いつ訪れてしまうかわからない最期が、少しでも祖母にとって苦しくないようにと祈るばかりでした。
結局亡くなった時は4/8の
早朝。
おそらく4時すぎ。(後日祖母宅を訪れたら壁掛けの時計が床に落ち、電池が外れて4時すぎでとまっていました。誰にも看取られないで逝った祖母が、時間を伝えてきたのかなぁ〜と思いました。自己顕示欲が強いひとだったから(笑))
誰もそばにいない時を祖母は選んだので
苦しまないで欲しいという祈りが届いたのかは誰にも分かりません。
ただ、亡くなる前日に
『もう、全部頭の中が空っぽになった』
と言っていたそうです。
いつも、たっくさんのことを
常々考え続けていた人でした。
例えば、ひとつのことに対して考えられる限りの可能性を考えて、なにをどう選択するか?決めていくような…。
そんな人だから、あたまが空っぽになったことは、後にも先にもこの時だけだったんじゃないかと思います。
生きている時も、すごい!!!
と思うことばかりだった祖母。
死に際も、それで
やっぱり、すごかった。
あっぱれ!が合うかもしれない。
死期がわかっていたのか…
亡くなってからわかった
伏線がいくつも。
口が達者すぎて
誰よりもマイペースで自己中で。。。
いつも孫や子どもたちは
祖母の扱いに困らされていたんだけれど
それは表の顔で
裏には誰よりも家族想いな祖母の
愛が隠れていました。
会いたいなぁ
夢にでもいいから会いたいなぁと
思ってもなかなか出てきてくれなかった祖母ですが。
亡くなってから5ヵ月くらいたった頃、夫とピリっとケンカを
した夜にはじめて祖母が夢枕に立ちました。
ちゃんと、亡くなっていた設定で(笑)。
そして、わたしが夫を選んだ初心に帰らされるような夢の内容で。
朝起きて、思わず身を正しました!
実は、祖母が珍しく
いたく気に入り、見初めた夫です。
面会に行くと
「ふたり仲良く、離れたらだめだよ」
と言われていました。
そんな祖母から
「あなたはその人なんだから、大切にしなきゃダメよ」
とメッセージをいただいたみたいで。
魂という存在になってからも尚
孫の世話を焼いてくれる祖母
大変ですねー。
誰よりも、あなたのそばにいた
誰よりも、迷惑かけた孫です。
この世にいなくなったからって
あなたの支えなしにわたしは存在できません。これからもここぞというときは、私のことを、当然、助けてくださいよ。
と、祖母の自己中なところをそっくり
受け継いでいるのかもしれないと思うのです。
ぁぁ、会いたいなぁ〜。
いま、生きている
会いたいひとには
ぜひ
会いに行こう。
大切な人には毎日
感謝を伝えたい。
いつ、会えなくなるかほんとにほんとに
わからないです。