昨日の続きです
一晩しっかり落ち込んだ結果、『いやいや、昨日の今日で諦められるわけないっしょ
』とお得意の検索魔と化します
そして某大○(日本で二番目に人口の多い都道府県ですね)大学付属病院の眼科学教室が、脳神経からくる視覚障害について、小児の診察も行なっているということが分かったので、主治医に「あの…ここに行ってみたいんですけど。。」と相談してみたのです
それまで先生の治療一筋で、他の病院の話なんて一切したこと無かった私
かなり恐る恐るでしたが、先生渡した私のスマートフォン奪い取って(←失礼)
「この治療機具海外の文献でしか見たこと無かったけど、ここにあったんだー!ここ凄いねー!」
とホームページ熟読
そして
「行ってみたらいいと思う。すぐに紹介状送っておきますね。治療ができるかは分からないけど、何で見えないのか理由が分かるかもしれない。少なくとも広島では乳幼児の目について、これ以上の治療や診察はできない。希望を持って行動することは大事なことですよ。」
と言っていただき、すぐに2週間後の外来予約の手続きを取ってくれました
そこから10日程で私達は3ヶ月半お世話になった急性期の病院を退院、県内のリハビリ施設に母子入院して毎日リハビリに励みながら1週間後の眼科外来の日を迎えたのです
娘が病気になって初めての長距離移動
かなりドキドキしながらも電車とモノレール乗り継ぎ何とかたどり着きました
娘が大病してから、広島でいう大きな病院は一通りお世話になり、着々と診察券ばかり増えていきましたが
大○大学、規模ハンパない
眼科が有名なこともあり、眼科にかなりの面積とってあって診察室20までありましたわ
母ちゃんビックリ。
最初に「今日は一日がかりになりますからね〜」って、予診の非常勤っぽい若い先生が優しく言ってくれました
数万円かけてここまで来てるから、一日がかりでやってくれるなんで有難い
それから眼底検査や暗ーい部屋での視力検査、娘だけ連れて行かれての検査などあり、いよいよ本診察へ
そこで言われたこと
・視神経を見たが、ほぼ白に近い肌色(蒼白だと失明)
・紹介状で治療の経緯を見る限り、最初にクモ膜下で動脈瘤が破裂した時は見えていたが、その後脳の強い腫れが2週間程続いている。この間に腫れた脳が視神経を圧迫し、萎縮してしまったと考えられる
・全く見えていない訳ではなく、強い光を当てると眩しがる部分がある。脳の回復のなかでそこが見えてくる可能性はある。しかし見えている部分は目の中心部ではないので、今後私達と同じように見えることはない。
・ぼんやり見えてきたら、見えている部分の視野を広げたり、中心に寄せるサングラスのようなものも開発されているが、とにかく見えてこないことには…。
・現段階でできる治療はないので、また見えるようになってきたら相談にきて下さい。次回の予約を取る必要はありません。
と、きっとすごく偉い先生が、大変申し訳なさそうに説明してくれました。
主治医の脳外科の先生から
「今視神経の再生医療の研究がすごく進んでいるから、今見えなかったとしても10年後、20年後には見えるかもしれない。そっちに期待したい。」
と言われていた事もあり、その件について聞いてみると
「確かに視神経の再生医療の研究は進んでいるけど、現段階で全く見えない成人の人を見えるようにした成功例は、世界で1例もありません。見た経験がない人に視力を入れても、見たことがないのでどうやって見ればいいのか分からないのです。ぼんやりでもいいので見えていることが必要です。」
とのことでした。
その後支払いを済ませ、3人とも昼食を食べていなかったので、夕暮れの中病院の外のベンチで全く美味しくないオニギリを食べました。
娘が1回目の手術後の予後が悪く、次の日2回目の手術に臨んでいる時も主人と二人、病院の隣の公園でポツリポツリと会話しながら絶望の中オニギリ食べたなぁ。。なんて考えながら。
娘は、私の顔を見つけてパッと笑顔になることはもうないのかな…
倒れる3週間前にUSJに行って来年はディズニー!なんて思ってたけど、もうパレードも見れないのかな…
今年はクリスマスにイルミネーション見に行っても楽しそうだな、なんて思ってたんだけどな…
でも、それより何より
視神経が萎縮してしまう程の脳の腫れ
あの時生死を彷徨っていた娘は、本当にとんでもない恐ろしい程の痛みだったんだろうな
分かっていたつもりでいたけど、ただとにかく生きて帰ってきて欲しいと元気付ける、声をかけるのに精一杯で、私はあの時ICUにいた娘の恐怖や辛さを本当の本当には分かってなかったのかもしれません。
あのまま死んでしまう人もいる。
生きても意識が戻らない人もいる。
そのなかで娘の命が助かったことは確かに幸運で、それだけを望んだことでしたが、きっと私が生きているうちに経験するかも分からないような痛みや苦しみだったことでしょう…
辛かったね
痛かったね
できることなら代わってあげたかったよ
母さんの目を1つあげたいよ
2つじゃなくて1つで我慢してね
そして一緒に同じものを見たいね
と、病気の記憶がなくぼんやりと過ごす娘を見ては、とにかく不憫で、可哀想で、悲しくて
リハビリ施設に戻っても毎日泣いて、週末自宅に帰っても主人と二人落ち込んで、娘の回復にとって大事な時期に、リハビリに前向きに打ち込むことができなくなってしまったのです。
②で終わる予定でしたが、③で目のことは終わりにします
明日はもう少し前向きな話になると思います