その日は、妙に天気のいい日で、お昼にチョコを買い仕事中なのに春の陽気にうとうとしそうになったとき、微震からの縦揺れに長い横揺れで、時間も長かったから何処か遠くで大きな地震が起きてるのかもって思ってました。

机の中に避難して地震後は皆情報を調べる。その時すでにツイッター大活躍。皆そわそわしてるのに仕事している人もいて、30分くらいしてようやく避難指示。一回、建物の外に出て帰宅指示。

避難指示が30分後とか、もし被災地だったら大変なことになってまっせ。

とりあえず帰ろうにも電車は動いておらず、お客さん先の常駐業務でうちの会社からは私一人だったので、関連会社の人と喫茶店で様子をみることに。

隣に座ってた人が携帯でワンセグをみせてきて車が流される映像をみせられる。

しかし、画面も小さいしその時は、港付近の車が数台流されただけだと思ってました。

なかなか、動き出さない電車。自分の会社の人はいないし、中越地震の時の帰宅難民を見た時に帰宅経路は知ってた方がいいかもってことで、何故かその現場の時は帰宅難民対策で経路を歩いていたから夕方くらいに一人で歩いて帰る決断をする。

その日は比較的あたたかったのが救いです。

そこから、歩き始め、皆同じ状況で歩いて帰宅してる人が沢山いたので心強い。

しかし、歩いてる人でヘルメットを着用してる人、救急車、消防車、パトカーが至るところで走っていて異様な光景でした。

一部封鎖されているところもあったけど、建物が倒れてたりするわけではないから歩ける。

これが、建物が倒壊してたら道がわからなくて帰るどころじゃなかったはず。

銀座→新橋→赤坂→六本木→青山→新宿→自宅。大体20キロで、6時間。

バスは殆ど機能してなくて乗れず、自転車や運動靴を購入してる光景もありました。

その時はたまたま、ペタンコ靴でした。お昼に買ったチョコをエネルギー源にして、途中六本木で、ケバブを食べたました。

今は職場が六本木なので、毎年ケバブを食べることが黙祷の意味としてますが、今年は実家で黙祷しました。

それから、新宿について、電池を温存してた携帯を起動したら両親やら親戚やら友達から沢山の連絡が入ってました。

この時全然情報を知らなかったし被災地ではないので、逆にそんなに連絡が入ってることに驚きました。

新宿は、徒歩で帰るのをあきらめた人達が沢山座っており、そこまで5時間歩いてるので疲労がやばかったですが、やはり帰りたい気持ちが強かったので頑張ることに。

もうだいぶ暗くなってきてましたがあとは大きな通りをまっすぐなので、割りと明るい道で、かなり徒歩の人達がいたのでなんとか頑張れます。

途中、話しかけてくるおばちゃんや、温かいのみものを配る人々。

それから1時間歩いて本当に体力の限界というとき電車が動き出したということで、乗り込むことに。

ちょうど、動き出したばかりだったからか、空いていてなんとか家に帰りついた時は本当にホットしました。

ついたのが、23時でヘトヘトだったのでその日は寝ました。

翌日起きてテレビをつけたとき、本当にびっくりしました。

津波の映像は映画なんじゃないかって思いましたよ。

地震自体は本当に一瞬だったのに、これほどまでの被害が出てるなんて。

東京も被害があったとはいえ、被災地に比べたらたいしたこともなかったと本当に痛感させられました。

緊急地震アラート、連日の報道、CMやバラエティーはテレビから消え、スーパーから食料がなくなる。

常駐先の仕事が一旦中断になり、自社に戻ることになり、急遽社内向けの携帯サイトを公開して、何かあった時の連絡網的なサイトを作りました。

そのときに私が出来たことは、募金とそれだけでした。

被災地の人の体験談を聞くと一割だってその苦しみを理解することは出来ないんだろうなと思います。

その辛い経験を語ってくれるってことは、またその、悲しいことが起きないように伝えていきたい気持ちがあるからかもしれないですね。

私もあの時を振り返りまた、防災について改めて考えたいなと思う次第です。

帰宅経路とか子供と一緒に避難するときに必要なものとか、家具の地震対策とかさ。

あのときの記録は懐かしのミクシーにあったので、忘れないようにこっちのブログに残しときます。