夜の畑道から始まった。今に至 る心の旅。学童の頃だった。それは子供にとってさへ「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた。」と感じる経験だったと思う。下から見たなら将にそういう出来事、けれど同じ事柄を上から見た時、意味が違って見えてくる。 「あなた方のうちに良い業を始められた方」その方の手の業の始まり。御手が動き始めた時だった。私の愛が「深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって何が重要であるか判別し、キリストの日に備え。。。」その事のための、神の私へのプロジェクト、プレゼントだったのかもしれないと。 母が娘の私に、涙ながら伝えたいことが、もしもあったとしたなら。。。それは何だったろうか?(実際にはそのような場面はなかったけれど)「私は全世界を憎む!!」だった?母の言動はそう語ってた。私にはそう見えた。でも、本当はそうでは無かったんじゃないか。むしろ「パーソナリティ障害を持つとはね、こんなにも生きる事が苦しくて惨めなのよ。お願い、わかってちょうだい!!」そういう訴えだったろうか。きっとそうではないか。だから私は、母の実存から出てくる訴えを、心にちゃんと刻もう。それが母が私に遺すメッセージ、遺産なのかもしれない。