manabicia & manabiasobi ブログ

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内田樹さんと中沢新一さんの「日本の文脈」の中に「能」についての記述がりました。

父が昔から趣味で「」をずっとやっていたこともありその辺りには興味があったのですが
私自身は全く知識が無いのでもし間違っていたら恐縮ですが
能舞台は「この世ではないところ」がイメージされているようです。

ある演目だけなのか、能自体がそうなのかは忘れましたが
踊り手がもし演技中に急逝してしまったら(お面は割と呼吸に負担がかかるようです)
何事もなかったかのように、そのご遺体を裏からそっと引き、
代わりの役者が演じ続けるとのこと。

人という存在は、現世あるいは異界との境界に
現れては消え、消えてもまた現れる
という、分かりきったこと、だけど、
その条理を見事に表している仕組みだなと妙な感慨を受けました。


また、能は、過去の「体の動き」を一切変えずに受け継がれているとのこと。
あの独特の動きは、昔の人にとっては違和感がなかったのだろうか。

ちなみに何かの書籍で、つい近代まで日本人は走れなかった(飛脚等一部の特殊な人を覗き)
ということを見たことがあります。
(動画等で、昔の人の歩き方、など見ました)

近代化教育が始まり、体育の授業などで「走る」という新しい動きが取り入れられたことで
私たちの文化や精神構造は、どう変化してきたのだろう。
とても興味がある。

能から連想される、人の振る舞い、動き、という文化に根付いた身体の型を
丹念に掘り下げていくと、とても根本的なものに行き着く気がする。


うまくまとまらないけれど、備忘録的に。


気がつけば鮮やかな紅葉の季節は過ぎて
きゅっと引き締まるような風が吹く季節になっていました。

ご存知の方も多いと思いますが
この半年は何もかもの生活が変化していった時期でもあり
大きな波の中におりました。

深い蒼の海の中に飛び込んだような感覚で
時にもがき、時に溺れ、そして時に、浮き上がった時の光に見とれ。
また一方で、沢山の温かい手に守られ沖へ引き上げられた時期でもあり。


ちなみに、「世界の楽園」と称されるセーシェル共和国という、
島々で成る國がありますが
写真の中のその美しさに憧れ、以前、一人で向かおうとしたことがありました。

しかし絶妙なタイミングと様々な理由でその旅はかなわなかったのですが
(航空券もホテルバウチャーもすべて消えた…)

いつかきっと私は、その見たことのない島へ「戻る」気がしています。

そのときはきっともう、海の深さよりも空の蒼さに気を取られて
ビーチでお酒でも飲んでいるのだと思います。
ピニャコラーダがいいなぁ。

先日、シンガポールで授業を受けているとき

グループの中で「完璧主義」について話題に。


そこに来ているメンバーの多くは

グローバルでキャリアを積み、輝かしい成功をつかんでいる人たち。

(特にシニア層。)


だけど彼らの心の中にはいつも

 「完璧でなければならない」

 「欠けている部分を受け入れられない」

という葛藤があるという。


完璧主義だからこそ死にもの狂いで努力をするし

だからこそさまざまな地位を手にいれたのでしょう。


そんなとき、

「日本には不完全の美、という考え方があるのだよ」

という話をした。


紫式部(たしか。。)は、満月よりも三日月が美しいといったし

吉田兼好も、ちょっと傷のある楽器のほうが趣があるといっていたし

千利休も、古いちょっと側面が曲がった茶器を愛したという。


欠けているからこそ、人はそこに弱さをみるし

その弱さが、独特の魅力となることがある。


この話に、「初めて自分を受け入れていけそう」

と言ってくれえた、ロシア人女性。


ちょっとだけ、目に涙が見えました。



私自身、振り返ってみると


私は、まったく英語が流暢ではないけれど

なぜかシンガポールまできてINSEADのコーチングの授業を受けている。


最初は、恥ずかしくて意見がいえない

一人30分のプレゼンがいきなり振られて、途中で涙目。

という連続で、何度も、心が折れそうになった。


だけど次第に

つたない英語でのプレゼン、途中で詰まったときは、

必ずクラスメイトが脇から「マサコが言いたいのはつまり…」と援護射撃をしてくれるように。


更に

 「マサコは傾聴スキルがたかいし、最後に一言で核心をつくね」

 「マサコと話をしていると、本当に幸せな気持ちになるし救われる」

といってもらえたことも。


(ネイティブのように滔々としゃべれないので、必死に聞いているだけなのだけど)



完璧に話せないから恥ずかしい

完璧にならなきゃ(でもなれない。。。)


という思いはいつのまにか消え


どうやって、

この不完全な自分を活かすか

不完全なままで人に貢献していくか

不完全な自分を受け入れ人の助けを求めるか


という思いに、


いつのまにかシフトしていた。



完璧主義を捨て

不完全な自分を活かしていこう。


不完全さを認めて

色々人を巻き込んでいったときはじめて

全体として、完璧になれるとおもう。

今日、立て続けに
いろいろなお声かけをしていただき
どんどんと新しいことがまわりで起き始めていることを感じます



そんなときふと思い出すのは、大学生の頃。

当時、どうしても働いてみたかった政府系の機関がありました。

インターンなどは募集していなかったけれど、どうしてもあきらめきれず
直接、見ず知らずの職員の方にアタック。

すると
「求めるひとには与えられます」という言葉と共に
インターンのポジションを作っていただけた。


あれから何年経つかわからないけれど
いまでもこの言葉を覚えるているし


芯をもってうごく人には
たとえ枠からはみ出たとしても必ず
新しい最善の道が与えられる

という実感を、いま、改めて噛み締めています


今日の昼にジャカルタから帰国しました。
この三週間でシンガポールとジャカルタへの渡航が続きくたくたですが
それぞれに、得難い経験をしました。

photo:01



ジャカルタは、有数の交通渋滞地域とのことで
photo:02



なんだか、それ自体がもはや観光のような景色でした。


帰国しながらぼんやり考えていたこと。

私たちはこのごろよく、
社会を変えるとか世界を変えるという言葉を使います。

でもわからなくなった。
この場合の社会、世界、は、何を指しているんだろう。

社会、世界、という言葉を使うときはもうそれは
三人称としてどこか距離のある対象になり

変える、ということは、
いまでは無い何かに
第三者として働きかけをしていく。
ということではないかと。

困ってるらしいあの人たちを、
あのへんの場所を
より便利に、より快適に、より豊かに
して、あげる、

は本当に必要なのだろうか

と、

生活水準があがり
生活が豊かになるとともに
消費が猛烈に進み、
車があふれラグジュアリーなショッピングエリアが乱立しつつ
排気ガスや渋滞に悩むジャカルタ
をみて、
すこし考えてしまいました。


変えるべきものはなんだろう
豊かさとはなんだろう

photo:03





とあるジャーナリストの方に
自分自身の足跡を何かしらのデバイスでキロクしたらどうかとアドバイスをいただいた。
そしてそのときの、言葉。
「被写体をリスペクトし、丁寧に撮る」という撮影者としての鉄則は、
自分自身が被写体である時も、例外ではない。


私たちは、自分の外にある人たちにたいしては
とても寛大で優しくみせようとする。
だけど、自分自身のことは、雑に扱ってないだろうか。
そう、はっとしました。

忙しいとつい、自分のことはあとまわし
ゆっくり呼吸する時間さえ忘れてしまいそうな日々でした。

穏やかに、ゆっくりと、心と体をいたわる時間を。

先日、元NHK堀潤さんと元TBS下村健一さんとお話させていただきました。

お二人とも、使命感に燃えて、やるべきことを淡々とだけど

まっすぐに突き進んでいらっしゃいました。


また今夜は、カンボジアで企業とNPOをつなぐ活動をしている徳永茜ちゃんと

人のマインドを育てる、というトピックで電話会議。笑

彼女もまた、やりたいことをどう実現させようか

キラキラとしながら、全力で走っています。



…素敵な方たちがまわりにあふれている中で

私はさて、どうなのだろう、とうふと振り返る。


私は、突き進んでは立ち止り、立ち止っては小走りになり。

ということを33歳まで繰り返してきたように思います。


自分のミッションってなんだろう、役割ってなんだろうと

特に、去年1年間は大きな壁にぶつかり、ずっと悩んで

そして卑屈になっていたかと。笑


33までぼんやり(ではないですが)してきたような感覚になって

「これでいいのかな」とおもいながらも半端な自分に

とても焦っていたと。


だけどふとおもうのが、

自分にとって動く時期、何かに進むべきタイミングというのは

自然にくるのだということ。


それが、遅すぎるとか、早すぎるとか、無いのだろう。


走るときもあれば止まることもあって

その繰り返しを続けながらどこかのタイミングで弾みがつくこともある


いまがこのとき!と思ったら

その瞬間だけは逃さず、あとは直観で。




1. 今年もまた渋谷で写真展をします。
メンバーは、なでしこVOICE代表の濱田まりちゃんetcなど、六名です。
パーティは3/15の午後。
また告知します。

2.manabi asobiを3/29に行います。
自分自身のライフキャリアについて考えてみたい方、ぜひ。

詳細
http://peatix.com/event/29969/

先日、シンガポールで受けてきた授業の中で
自分を変化させるためには、

1.ルーツを知ること
2.役割に気付くこと

が必要だという話がありました。

ルーツというのは、そのまんま、まさに、家系です。

自分から数えて三世代上の人々が
どんな境遇で人生をすごし
どんな仕事や教育をうけ
家族とどんな関係性を結んでいたか
転機となる出来事はなにか
葛藤のある出来事や関係者は誰か
家族の中で大切にしていた価値観は何か
を、書き出してみること。

私たちは、無意識であれ、必ず
生まれ育ったルーツから影響を受けています。

なぜこの分野、仕事を選んだのか
いまの性格はどう作られたのか

そんなことを根源から見てみます。


その上で

自分の役割はどんなものだったのか。


例えば、生まれた順番によっても決まることもあるでしょう。

例えば
長男であれば、母にとってのボーイフレンド的な役割だったのか
末娘であれば、家族のムードメーカーで自由奔放なキャラだったのかetc

両親が貧しい若い時期に産まれたこなのか
あるいはある程度裕福になってから産まれた子どもなのかetc

生まれて始めて人間が属する家族という組織の中で

どんな状況の中で
どんな役割で生きてきたのか

を、意識してみる。

つまり、
ルーツは垂直方向に
役割は水平方向に
自分を知れる切り口となるはずです。


その上で、ようやく
いま、家族や組織や社会の中で演じている役割を、次はどのようなものに変えて行くのかを
変えていけるのだとおもいます。


学生から社会人になったとき
昇進して部下ができたとき
組織人からフリーになったとき
あらゆる局面で自身を変化させなければならないときは

まず無意識にもっている自分のスタイルを知ってから
その上で新しい役割を設定していくことが
近道かつ確実ではないかなと。