同僚とお昼を食べていたときのこと。


学校の勉強についての話題になった。


同僚は中学生のときそれなりに勉強ができたらしい。ただ、全く勉強ができなかった姉が受験勉強で成績が伸びたとき、母は喜び姉を褒め、75点ぐらいの答案用紙を冷蔵庫に貼り出したらしい。


当時、同僚は80点以上を取るのが普通だったが、褒められたことも喜ばれたこともなかった。


扱いの違いに不満が募り、勉強する気を無くしたらしい。


私も同じようなものだった。


兄が中学受験をしたため対抗心で受験をしたが、私立は思ったよりおもしろくなかった。

ただ勉強は真面目にしていたし、成績も良い方だった。中3で高1の勉強を終えていた私は、

受験をして入った公立高校のはじめての学年テストで1位を取った。

嬉しくなって母に報告すると「へーよかったね」の一言。父に至っては「マグレやろ」と鼻で笑った。


この瞬間、何かが切れた。


もともと小学生の時から成績が良く、100点かそれに近い点数が普通だった。

まわりの滅多に高得点を取れない子が「90点取ったら欲しいものを買ってもらえた」「おこづかいが増えた」と喜んでいるのを聞いて、不満を抱いていたが、他所は他所だと無理やり納得していた。

でもこれはあんまりだ。


うちの家は、頑張っても頑張ったと認めてもらえないだけでなく、学年1位でさえ鼻で笑われるのか、と。


やる気は落ちたが頭が良いことは取り柄のない自分の僅かばかりの誇りだったため、ゆるゆると続けた。国公立大学に受かればさすがに親も喜んでくれるはずだと信じたい気持ちもあった。

ただ、褒められない認められない日々で、やる気を継続するのは難しく、「塾に行っている」「自習室に行っている」ことが目的になり、勉強には最後まであまり身が入らなかった。


センター試験の自己採点がボロボロだったとき。

初めて授業をサボった。

非常階段にうずくまってケータイで母に電話をして、「ごめんお母さん、センターボロボロだった。どうしようどこにも受からなかったら」そう泣きながら報告した時、母は言った。


「大丈夫!期待してないから!」


その時は、声の調子で元気付けてくれているのだと思って少し心が軽くなったが、よくわからないもやもやが残り続けた。


結局滑り止めで受けた私立大学に進み、(とはいえ一応その地域では国公立の1つ下ぐらいの位置だ)青春とかモラトリアムと呼べる大事な4年間を過ごせたことは、親に感謝している。


社会人になり、一人暮らしを再開した頃、実家は帰りづらい場所になった。

そして自分の存在意義について考えるたび、あのときの母の言葉がよぎって、虚しい気持ちになった。


そうか、私は期待されていないのか。

だから誰かの一番になれないのか。

誰かを愛することもできないのか。


そう考えてひっそり泣いた。


30歳になってやっと解放されつつあるが、思い出すとやっぱり少し暗い気分になる。


勉強に限らずだけど、

あの不安定な学生時代、無条件に自分を信じてくれる人が欲しかった。

あなたなら大丈夫だと言ってほしかった。

できると信じてほしかった。