県外で先生をしている友人から、来年に結婚する、という報告を受けました(^-^)

中・高校の同級生なのですが、彼女には、学生時代を含めて本当にお世話になったのです。


私が病気で教員の内定辞退をしたとき、一時かなり落ちこみが酷くて(。>д<)元気に先生をしている彼女を羨ましく思ってしまったんです。


単なる妬みなんです。第一、彼女は一発合格するほど努力家です。私も1度で合格してれば良かったのに、自分の勉強不足を棚上げして、彼女に愚痴のようなメールを送ってしまったんです。


でも、そんなメールにも、彼女は真摯に答えてくれました。私は、その中の彼女の言葉に救われました。具体的な内容については秘密です(笑)


でも、辛いとき、ふと彼女の言葉を思い出します。


そのとき、メールを読みながら号泣してしまって…同時にすごくスッキリしたし、「
彼女が先生をしてくれるんなら、それでいいか」と、素直に思えたんです。


完全に吹っ切れてはいないけど、もうそれ以降、仕事のことで泣いたことはありません。


そういうこともあり、彼女は私の大事な友人です。
できるなら、結婚式に来て欲しいと言われました。治療がどうなるか分からないけど、できるなら行きたいな、と思います。


でも、県外なのが大変かな…一緒に招待された親友は、さっき「残念だけど、欠席する」と連絡がありました(~_~;)


彼女は、今はお家の事情もあり、二人の子育てもありで、行くのは難しいそうです。


だから、なおさら私は行けるといいなあ、と思うのです。

思い返せば、私が病気になってから、周りで結婚ブームがやって来て、治療の合間になんとか式に出席してきました。まあ、治療を合わせてもらったのもありますが、奇跡的です。


1度、式に出席するため、外泊中に、帯状疱疹になってしまったことがありました(>_<)あまりにも痛くて眠れなかったし、熱もかなり出ました。急いで病院に行ったら、「健康な人でも入院するレベル」と言われ、式の欠席を勧められました。


私は抗がん剤をしていて、白血球も下がっていたので、かなり酷かったらしく、後で「モルヒネ使うレベルだった」と言われました。道理でめっちゃ痛かったはずですね。


でも、その子の式はどうしても行きたくて、皮膚科の先生に泣きついてなんとか行かしてもらえました。式場のスタッフの方も気を遣ってくれて、なんとか乗りきれましたし、行って良かったです。


その子が、さっき書いた二人の子育てをしている親友なんですけどね(笑)


あ~でも、白血球が下がってたから、刺身やケーキが食べられなかった~

結婚式は、万全の体調で、いっぱい食べたいですよね(笑)


まあ、もう結婚の波もおさまってきたので、行く機会もなくなるでしょうけど。幸せそうな姿を見ると、自分の免疫も上がりそうで…みんな笑顔ですからね(^-^)


自分が結婚の望みが無いので、羨ましくもありますが…でも、やっぱり友人には幸せになってほしい!おめでとう(*´∀`)♪


p.s
昨日は、姪っ子の家の近くの雑貨屋さんに行きました。もうすぐこれまた別の友人の誕生日なんです。最近、家も建てて、妊娠も分かったばかりなので、トリプルハッピーです。でも、悪阻がひどそうだから、直接渡せなさそう…多分送ることになるだろうけど、それもまた嬉しいですよね。サプライズ的な?

ラッピングがドット柄で、私好みなんです(*^^*)

年賀状、無事に印刷できました。

プリンターのインクを交換して、クリーニングを繰り返してたら、なんとか見られるようになったので…


まあ、またダメになったら、そのときは買わなきゃだなあ、とは思います(^_^;)

あとは、それぞれに一言を添えて送らないと。そんなに数はないのだけど、結構大変ですよね。結局、みんな似たような言葉になっちゃう。


私は、千葉の病院で同室だった人と、毎年、年賀状や暑中見舞いなんかをやり取りしてます。

あれから、症状は落ち着いているようで、本当に良かったです。私より後から入院してきて、最初はすごく不安そうだったので…



色んな患者さんと出会ったので、このことについてもまた書けるといいのですが、アドレス交換しても、少しは連絡を取るのですが、しばらくすると疎遠になってしまうんですよね。


やはり、こういう病気だと、もしお互いに何かあったら…と思うと、あまり深入りできないというか。

どちらかがマメなタイプなら続くんでしょうがね。



今回使った年賀状ソフトに、カレンダーを作る機能がついていたので、姪っ子の写真を入れて作ってみました!似顔絵スタンプとかもついてたんですよ~




あとは、明日姪っ子に会いに行くので、クリスマス用のポチ袋を手作り。



もちろん、中身は私の母が出します(笑)
甲斐性がないおばで申し訳ない(~_~;)
ちなみに姪っ子は、3才にしてサンタを信じていません。というか、怖がりなので、知らないおじさんが家に来るのを恐れています(笑)

プレゼントも、「とうちゃんにかってもらう!」らしいです(^-^)

ちなみに、○で囲んであるキャラクター、何か分かりますか?私も好きな漫画のキャラで、姪っ子に好きになるよう、教育しました☆
3年間塾講師をした後、学校の講師をしながら、教員採用試験を受け始めました。

私がいる県は、正式な教員になるには、なかなか狭き門です。仕事もしながらなので、当然一発で受かるはずもなく…


病気が分かったのは、三度目の試験を受け終わった後でした。

本当は、その1年前から、右足の付け根に痛みが出始めていて、その頃には、歩くのも辛いくらいになっていました。

病院も1度行きましたが、腫瘍の場所が悪く、発見できませんでした。お医者様からは、MRI を勧められましたが、試験が終わるまでは大事にしたくなかったので、痛みに耐えつつ、勉強していました。

痛みがひどくなった頃、学校が夏休みに入ったのは幸いでした。


病気が分かってからは、隣県の大学病院に入院して検査、治療、と、どんどんと進んでいき、治療のあまりの辛さにノックアウトされていた頃、試験の結果が届きました。


正直、痛みで勉強に集中できなかったので、受かるはずないと思っていたのですが、結果は合格!


辛さが一気に吹き飛びました。治療の合間に内定者面接にも行って、事情を話したら、治療が終わるのを待ってくれるということで、この合格は、治療を乗り切るために、神様がくれたプレゼントなんだと思いました。


抗がん剤と重粒子線を終えて、予定の治療をすべてこなすと、仕事をしてもいいという診断書ももらえました。


実際、正式な教師として赴任する学校も決まりました。中途半端な時期だけど、頑張ろう!と思っていた矢先、肺への転移が見つかりました。


正直、迷いました。教師として、一年間働けば、休職扱いにしてもらえる。肺の腫瘍はまだ小さかったし、なんとか頑張れないかな、と。


でも、先生はすぐに、治療を勧めてきました。私の腫瘍は、勢いが強いから、と。

ショックでした。あんなに辛い治療をして、こんなにすぐに…泣き叫びたい気持ちをぐっと抑え、この旨を教育委員会の方に伝えました。


ギリギリまで待ってくれると仰ってくれましたが、やはり復帰予定日までには間に合わず。

試用期間である一年間を働いていない私は、内定辞退をしなければいけませんでした。

気持ちとしては、内定取り消しなんですけど、辞退という形にしたいということでした。後で訴えられたりしないためでしょうね(笑)辞退の旨を文書にして欲しいと言われました。



病室で文書を書いているとき、涙が止まりませんでした。このとき、初めて人前で号泣しました。そのときの病棟の師長さんが、よく話を聞いてくれる方で、その人の前で子どものように泣いてしまいました。病気が分かったときも泣かなかったのに。


精一杯努力して掴んだ夢を諦めるのは、本当に辛く、悔しかったです。それも、自分ではどうしようもない力が働くことで。


努力がある程度報われる世界にいた自分は、なんて甘かったんだろう、と思います。病気の小さな子どものたちは、ずっとこんな世界にいたんだ、私は学校の子どもしか見えていなかった。もっと視野を広げれば、という思いでいっぱいになりました。


勉強もスポーツも努力が報われる世界にいられることは、本当に幸せなことですね。それも健康な体があってこそ。



この事があって、やっと自分が厳しい世界にいることに気づきました。


教育委員会の方は、私の怨念(笑)がこもった手紙を読んで、いつでも講師として、復帰してください、と仰ってくださいました。


でも、私の足と体力では、難しいものがあります。何か仕事はしたいし、教育にも携わりたいと思うけれど、私が病気になって学んだことは学校では教えられないことなので、教壇に立つことは、もうないでしょう。



講師の友達は、いまだに私を先生と呼んでくれるけれど、それにも違和感を感じるようになってしまい、あの号泣から時間がたってしまったんだなあ、と思います。そうは言っても、まだ完全に吹っ切れてはいませんが(^_^;)


今後は様子をみて、短い時間の仕事をしたいなあ、と思います。家庭教師…は、勉強できなくなっちゃったから、無理かな(笑)


とりあえず、肺の腫瘍がもう少し落ち着いてくれる方が先ですね。欲張らず、何か習い事やボランティアから始めてもいいかな、とも思っています。