きのう、ふと僕には日記を付けるという行動が必要だと感じた。
自分と向き合うことが僕には必要だと、思った。
ひとついいたい。自分のこと。いまこれだけは分かっている、僕のこと。
気分屋であること。
記憶力のないことを昨日言った(ようだ)が、芯が無いから記憶もできないのだろうという、そういう説もある。
つまり、僕はきょう書きたいことを書く。これを積み重ねていく。
もしかしたら、毎日書いていくと、変わらないものが見えてくる気もしてくる。
きのうとは正反対のことを書くこともあるだろうし、それを嘘とは呼ばないでほしい。それはその時本当に思っていたことだし、事実だったものだから。それを嘘と呼ぶなら、僕はエゴを見いだせなくなるかな。ただの気分屋だよ
よくある話だと思うが、世の中のカップルをサンプリングしたとき、2人の性格はどうなのだろうか。
あるカップルは互いの共通項がきっかけになり、別のカップルはお互いにないものを相手に見出だし魅了し合ったものもいるだろうが、後者は全体のどれくらいあるのだろうかと気になる。
僕は恋人ができたことはない。正確に言うのであれば、一度1ヶ月も満たぬ交際はあるが、いま思うと別に恋人としてカウントすべきものじゃないと思う。この経験を引き合いに出そうとしたが、大して覚えてもいないのでこの話はやめる。
ブログ上の名前をmacoibとしたが、aim_bocのaim、bocはそれぞれアーティストを表している。
どちらも有名。aimはあいみょん、bocはBUMP OF CHICKENである。
BUMP OF CHICKENが大好きである。
自分にないものを持っているからかな。変わらないというものを持っている。彼らの音楽を聴けば聴くほど、夢中になり、救われ、ライブで言っていた言葉も突き刺さり、全BUMP OF CHICKENが気分屋の僕の正体を洗いざらい暴こうとしてくる、そんな感じが限りなく心地よくて堪らない。いや、そんなことは彼らは一切してきてないが、そういう錯覚になるくらいに、自分の哲学を確かめるよう、指示される。
きのう言った、論理的とかどうとか言ったのとか、BUMP OF CHICKENに出会ってなければ、あんなこと考えるようになっていたかな。別にこれが正しいかなんて実際どうでもいいんだけど、ただ、この自分を認めてくれる。BUMP OF CHICKENは。
BUMPとか、バンプ、とか略すが、
バンプは自分の基本だと思っている。何も分からなくなったら(何も分からなくなったらっていう状況は常にあるが)、バンプを聴いている。そのずっと変わらない不変の立場にいるバンプに救われている。
気分屋って、いい加減でしょ?自分の考えとか意見とか、気持ちなんてこちとらきょうとあしたじゃ違うって言ってんのに、恒常的なバンプに救われている。と、言っている。
自分にも変わらない何かがあるのかな。
macoib