思考回路がつぶれる前に、ただのメモ。
それは真っ白い紙のよう。
何を書き込まれても、そこは常に真っ白くある。
そしてすぐに、綺麗にしてしまわなければいけない。
暗に汚されたままにしていては、同調して広がりきってしまう。
それが分かるのは、表裏一体を意識しているからだ。
人が長く生きていくために、脳は働く。
物理的にも、精神的にも、
何事もできるだけ都合良く処理をする。
一体どうしてか遺伝に組み込まれた、プログラムのようなそれ。
まだ知ることのない膨大な未知に迫る資益のひとつであることは
間違いない。とても崇高であり、とても魅力的。
強烈に心をえぐる経験というものは、
精神には複雑な思い、肉体には痛烈な感覚を伴って
程度に比例した強さ、深さで、記憶に刻み込まれる。
多角的に捉え、あらゆる思考を展開した場合、
カクハンされ、複雑な状態になっていくものと推定。
このことから、正誤で指し示し単純化して捉えることが、
これ以上にない精神安定と位置づけられる事実に結ぶ。
それは思い出すと、震えが始まる。
それは思い出すと、力が抜けていく。
それは思い出すと、現在の感覚が機能しなくなる。
そしてこれは、意識的にも、無意識的にも
自己防衛のためにできる限り記憶を薄め、
できる限り常駐しない記憶として格納し始める。
時間と共に、できるだけ無に追いやる。
その思考に及んだ経験、事象自体、
そしてそれを取り巻く環境、時間、前後、
記憶をした時に紐付けられていることから、
その領域にあった全てが薄れる。
これを繰り返した場合、3度目か5度目かは分からないが、
危機回避能力によって、基準値は下がり続ける。
心因記憶障害の発端にも繋がると考える。
ショックの大きさから記憶喪失になる。
基準値の設定がないまま、
精神の予測範囲外に極端な経験であった様。
◆∵◆∵◆
脳が回避する。
人工的に行うのは、精神に麻痺状態をもたらす物。
トランス状態を招く物、事。
ここに至った場合、"緩める力"、"弛める機能"を
意図して持つ必要があると考察。
快楽は、五感のみで感じる単純なものとして
認識していれば、極めて手に入れやすい。
思考が働く場合、100%の快楽ではなくなるため、
思考の感じる喜びを快楽とし、
100を求めて追求する働きを植付ける必要がある。
これが先述とは別の回避方法として、脳が行っている場合、
似て非なる他から取り入れようとする意識が
強まるのではないかと考える。
また、いずれの場合も、
100の解として取り入れることができない場合、
他を見出せず、依存状態を招くものと推察。
◆∵◆∵◆
自分にとっての"歌う"という行為について。
もう1度よく考える必要がある。
歌おうと思わないことが、どういう意識によるものか。
それは真っ白い紙のよう。
何を書き込まれても、そこは常に真っ白くある。
そしてすぐに、綺麗にしてしまわなければいけない。
暗に汚されたままにしていては、同調して広がりきってしまう。
それが分かるのは、表裏一体を意識しているからだ。
人が長く生きていくために、脳は働く。
物理的にも、精神的にも、
何事もできるだけ都合良く処理をする。
一体どうしてか遺伝に組み込まれた、プログラムのようなそれ。
まだ知ることのない膨大な未知に迫る資益のひとつであることは
間違いない。とても崇高であり、とても魅力的。
強烈に心をえぐる経験というものは、
精神には複雑な思い、肉体には痛烈な感覚を伴って
程度に比例した強さ、深さで、記憶に刻み込まれる。
多角的に捉え、あらゆる思考を展開した場合、
カクハンされ、複雑な状態になっていくものと推定。
このことから、正誤で指し示し単純化して捉えることが、
これ以上にない精神安定と位置づけられる事実に結ぶ。
それは思い出すと、震えが始まる。
それは思い出すと、力が抜けていく。
それは思い出すと、現在の感覚が機能しなくなる。
そしてこれは、意識的にも、無意識的にも
自己防衛のためにできる限り記憶を薄め、
できる限り常駐しない記憶として格納し始める。
時間と共に、できるだけ無に追いやる。
その思考に及んだ経験、事象自体、
そしてそれを取り巻く環境、時間、前後、
記憶をした時に紐付けられていることから、
その領域にあった全てが薄れる。
これを繰り返した場合、3度目か5度目かは分からないが、
危機回避能力によって、基準値は下がり続ける。
心因記憶障害の発端にも繋がると考える。
ショックの大きさから記憶喪失になる。
基準値の設定がないまま、
精神の予測範囲外に極端な経験であった様。
◆∵◆∵◆
脳が回避する。
人工的に行うのは、精神に麻痺状態をもたらす物。
トランス状態を招く物、事。
ここに至った場合、"緩める力"、"弛める機能"を
意図して持つ必要があると考察。
快楽は、五感のみで感じる単純なものとして
認識していれば、極めて手に入れやすい。
思考が働く場合、100%の快楽ではなくなるため、
思考の感じる喜びを快楽とし、
100を求めて追求する働きを植付ける必要がある。
これが先述とは別の回避方法として、脳が行っている場合、
似て非なる他から取り入れようとする意識が
強まるのではないかと考える。
また、いずれの場合も、
100の解として取り入れることができない場合、
他を見出せず、依存状態を招くものと推察。
◆∵◆∵◆
自分にとっての"歌う"という行為について。
もう1度よく考える必要がある。
歌おうと思わないことが、どういう意識によるものか。
