それは私が初めて絶望の意味を知った日でした。
朝、布団から出ていただろう冷え切った顔が何者かによって叩き起こされた。”それ”は私をひどく怒鳴りつけ、終いには、ここから出ていけとまで言う。勿論、そんな馬鹿らしいことは私を家から出させるきっかけにはならないし、何よりも”それ”もそんなことをさせようとは毛頭考えているようにも見えなかった。毎日の目覚めはいつも私を現実の世界に引き戻すのであった。
私は学校へは行かない。そもそもこの世に存在してはいないのだ。私の両親は私が産まれた時から今まで、私の名前を呼んだことはなかった。彼らの口は私を怒鳴りつけるか何かを命令するときにしか機能しない見かけ上の口である。私に彼らの口をくっつけたほうが有意義に使いこなせるはずだろう。薬缶に水を入れ、コンロに火をつけると同時に私の心は火とは裏腹に無となった。”それ”の前では何もしゃべらない、心が無い従順なロボットと化すのだ。”それ”はそう望んだ。私が彼らに望むことは何もないというのに。
”それ”は朝食をとると、家を出てしまうので家は私一人になる。ほかの2体がいないこの6畳の空間は、まだ小さい私には広く感じる。
ふと、私はこの空間から出た最後の記憶を辿ってみた。確か最後に外に出たのは―
私は気づいてしまった。この部屋というちっぽけな空間に今までの人生を閉じ込められていたことを。ちっぽけな部屋にちっぽけな私。こんなに釣り合いの取れている依存関係があっただろうか?私は馬鹿では無い。今までに本やテレビを見て学んだことはたくさんあったし、それで退屈をしのいでいたから外の世界にそもそも興味が無かった。そもそも知っていることをわざわざ危険を冒してまでこの目で見る必要があるのだろうか?この存在しない私という存在は本当に生きているのか。”それ”にしか存在を認知されていない時点で彼らがいないときには私は死んでいるのではないか。様々な疑問が頭をどたどたと踏み荒らしていく中、記憶の片隅からあることを引っ張り出した。
人は人の中に存在しない限り生きていけないのだ。―これも本で読んだ知識の受け売りである。死んでいる私が興味のない外の世界の産物である本を信じている。これほどまでに滑稽なことがあるのだろうか?もしかしたら私は本の世界の住人なのかもしれない。
かすかな外の世界への可能性と昼前特有のあの太陽のふわふわとした日差しに包まれながら私は意識を夢の世界に飛ばした。
がちゃがちゃ、という音に意識が引き戻された。
こんな時間に帰ってくるはずは無い。しかし鍵をはなから開けようとしない。ここから考えられるのは、泥棒かその類だろう。寝ぼけ眼をこする暇もなく私の体は一気に現実のものへと戻った。
声を出してはいけない。体でそう感じた。しかしなぜそんなことをする必要がある。私は死んでいる。もし仮に本当に泥棒で私に見られてはまずいことをしでかそうとしていたとして、私は何か守るものがあるのか。存在しない物を消すということに躊躇なく行動できるはずだ。私はいっそのことこの泥棒さんに殺されてしまったほうがいいのではないか。いくら私が悲観主義者だとしても、今の生活は最低水準そのものであろう。私はいてもいなくてもどっちでもいいのではないか?
がちゃり。
私の思考を突然さえぎるようにして扉を開けた者は、ばつが悪そうに私をしっかりその2つの黒目でとらえた。
二人の間に長く深く重い沈黙が流れた。
泥棒さんはまさか表札に書かれていない人間がいるとは思っていなかった、と言いたげな顔をしていた。冷静に考える私を見るその泥棒さんはどこか小ぎれいだった。
この沈黙に耐えられなくなったのか、小奇麗な泥棒さんは私に笑いかけた。その笑みはひどく冷たいものだった。仮面のように張り付いたこの表情はもしかしたら笑顔とは言わないかもしれない。感情を失ったロボットのような笑みである。
「泥棒さん。」
口にしていた言葉は私を深く混乱させた。
「私を誘拐して。」
私は後悔はしていない。