知覧
この言葉さえ、知ったのは2ヶ月前
場所さえもわからず、けどたまたま惹かれて聴きにいった 講演会で
登場した地名
それが「ちらん」だった
そしたら
その後に出会った人からも
「凄いところ」「全国の修学旅行で行かせたい場所」
って会話のなかにでてきて
これはもう、行くしかないなって思った
そう思ったらいてもたってもいられない性分なので
検索
そこでやっと「特攻平和会館」ということを知った
広島や沖縄は有名だ
行ってみたいと思ったこともあり、実際
ひめゆりの塔 平和祈念公園 原爆ドーム 原爆資料館などは行ったことがある
でも知らなかった知覧
知ってしまったからには行きたい 行くべき場所なんだろな
それからスケジュール帳とにらめっこ
いついけるかなぁ
どうやったらいけるかなぁ
そうしたら
まさかの浜松遠征
そこからくだっちゃえ!
と勢いで行ってみました
夜行バスに乗り込み鹿児島へ
そして
てくてく田舎道を歩いて
目的地へ
ひんやりと落ち着いた空気の中
入るや否や たくさんの写真が目に入りました
その下に飾られているのは
その写真に写っている方たちの遺書
あぁ
思い出しただけで涙が出てくる
中央では、館の方が展示されている
飛行機の説明や若き特攻兵の説明
なんかまだ実感できない
そうしていると
次は視聴覚室で特攻についての説明があると館内放送が流れる
ちょうどいいタイミングだと思い、そちらに向かう
さきほど聞いた話にリンクする内容やまた違った方の遺影、遺書たち・・
そこで、いまも印象的なのが
「これからの日本を考えて」「これからの人にたくして」
という
特攻兵たちの思い
彼らは自分よりも若くして 戦闘機に乗り込んだ
それは「決死」ではなく「必死」の戦闘機
必死・・・必ず死ぬという戦闘機
でもそれに乗り込む人たちは
穏やかな表情で写真に写っていて
自分が死んだ後のことを考えて戦地へ向かっていた
なんか
その後また展示室に戻ってたくさんの遺影を前にしたら
言葉にならない思いが溢れて だめだった
涙が止まらなくて 止まらなくって・・・
ただただ
遺影と遺書を眺めながらしばらく放心状態で泣いた
悲しいとは違う
ひどい・・とも違う
かわいそう・・・でもない
誰かを非難することもできない でもこれが事実であり
これがあったから
今の自分がいる
過去の歴史のうえで
今の生活があり
今の自分が成り立っている
ただただ
そう感じた
そんなに広くない会館のなかには
1036名の遺影と遺書や最後に書き残した書物
そして
身に着けていたものが数多く展示されていた
ほとんどが
親兄弟にたいする手紙であり
母に対する感謝の念 母を心配する言葉が多かった
それを見て
自分も誰かを大きく包み込む
母親になりたいと思った
今
自分は生きているのではなく
生かされている
VTRの中で特攻兵のお世話をしていた
「おばさん」の言葉が胸をついた
生き残った方が訪ねてくると必ず語りかける言葉
「なんのために生きているか考えなさい
理由があって 生き残ったのだから」
自分もそうだとしたら
何ができるだろうか
時間が許す限り
たくさんの書物に目を通した
なんか
帰りたくなかった
一人一人の思いを感じたい
そして
その思いをちゃんと次の今の時代に生きる
自分がもっていたい
でも
どれだけ読んでも
同じ気持ちにはなれない 経験しないと
たどりつけない そう感じた
戦争がどうとか意見を言うつもりはない
けど
ここに飾られている人々が
実際に生きていたことは事実だし
そして戦争によって死んだことも事実だ
そして
それを悲しんだ人もいただろうし
敵国は喜んだのかもしれない
もちろん
ここに飾られている人も
相手国の人も道連れにしたかもしれないし
遠い国で悲しんでいる人がいるのもまた事実だろう
循環しているのは
まぎれもなく
喜びや楽しさではなく
怒りや哀しみ
それだけは言えるかと・・・
そして
その思いの循環を作ってはいけないのだろう
ということを感じた
for youの精神は
近くの人とか自分の地域、国とか
だけじゃなくて
そういったボーダーを取り払った
ところで考えるべきなんじゃないかと感じた
この場所に行けたことに感謝
そして
この気持ちを忘れずにいたいから記した
同じ場所に行っても
同じ景色を見ても
自分の思いがちがければ 見えてくる景色も違う
また行きたいと思った
そして
沖縄・広島もまた行こうと思った
彼らは
どんな気持ちで空に飛び立ったのか
そして
今を生きる自分は次の世代につなげるために
何をしていこうか
大きなことなんてしなくても
少しでも
一歩前に進むことが力になると信じている



