さっき髪の毛を切った。
担当者がいなくて、20歳ぐらいの若い人が切ってくれた。
ズボンをずらして履いてる、
若者らしい挨拶、
ひつこくなく、さっぱりしている口調。
さっぱり加減がちょうどいいから、
気を使っているんだろうな。
てきぱきてきぱき、
ものすごくさっさと仕事をする
私が、ここをこうやってね、
と言うことに
はいはいと素直に、けれど少しそっけなく答える。
もしかして注文言われるの嫌いなのかしら。
V6の岡田君に似ている。
まっすぐな目。
私は、あまりにもかっこいい男の子に、緊張してしまった。
えらく挙動不審になった。
それを彼は気がついていた。
でも気にしてませんよ、というようなそぶり。
親切ですな。
私が20ぐらいだったら、
いろいろお話するのに挑戦したかもしれない、
でも、この年だから鑑賞してたんだけど、
小1時間一緒にいたら、疲れるほど気を使っただけだった。
もったいないな。
結局それだけのことなんだけど、
40の女性と、20の男の子との会話で、
スマートに会話ってどんなんだろう。
こんな髪の毛を切ってくれるだけの縁で、
一瞬の瞬きのような彼との会話が
若いときの恋愛を思い出すようなかんじで、
大切なことのように思えてきた。
あたしは20の頃、あんな男の子に会いもしなかったのに、
どうして40ぐらいになって、
あんなかっこいい人が髪の毛切ってくれるのかしら。。。
名前もかっこよかったなあ~。
乾(いぬい)っていう方角で言えば北西のことらしいんだけど、
そんなかっこいい名前の若者でした。
みんなに聞きたいんだけど、
自分が両親から愛されていると
思ったことはあるだろうか。
たぶんどんな親も子供を愛す時間はあるだろう。
そして、実際には愛しているのだと思う。
でも
自分が愛されている!
と子供が自覚できるように、
親が愛することはできるのかは疑問。
親は愛しているという表現をなかなかしない。
親は自分と違う人間だから、
愛する表現が違うのは仕方ないのですが、
本当にわからない場合がある。
みんなの親は、自分を愛しているという表現を、
どんなふうにしているのだろう。
それを教えてほしいな。
親がどんなふうに子供を愛するのか、
とても興味があります。
そしてそれが自分の自信になってくるんだと思う。
ずっと私は、
愛されてないと思っていた。
でも今日、でもそれが違うとわかった。
なにげない時、
それがわかったのだ。
愛されてないと思うとき、自分が愛されるのに値しないと
思ってしまうでしょう。
だから少し苦しがっていたのかもしれない。
自分が両親から愛されていると
思ったことはあるだろうか。
たぶんどんな親も子供を愛す時間はあるだろう。
そして、実際には愛しているのだと思う。
でも
自分が愛されている!
と子供が自覚できるように、
親が愛することはできるのかは疑問。
親は愛しているという表現をなかなかしない。
親は自分と違う人間だから、
愛する表現が違うのは仕方ないのですが、
本当にわからない場合がある。
みんなの親は、自分を愛しているという表現を、
どんなふうにしているのだろう。
それを教えてほしいな。
親がどんなふうに子供を愛するのか、
とても興味があります。
そしてそれが自分の自信になってくるんだと思う。
ずっと私は、
愛されてないと思っていた。
でも今日、でもそれが違うとわかった。
なにげない時、
それがわかったのだ。
愛されてないと思うとき、自分が愛されるのに値しないと
思ってしまうでしょう。
だから少し苦しがっていたのかもしれない。
田舎のある人は、
何かにつけて田舎を思い出すたびに、
自分を思い出すだろう。
田舎から出てきたときに
ものすごく張り切ってきたことや、
何か希望を持っていたこと
そしてそれなりに努力してきたことを。
思い出すんだろうな。
物にもそれはしみついていて
ラグや座椅子、
よく使うものは、買ったときの自分を思い出させるから、
それを捨てるときには、
なんか昔の自分を思い出す。
希望を持っていたけど
自分の思ったように運ばなかったことがあって、
すこしへこんでいる時、
そのときの自分を考えて
すこし感傷的になる。
思い出のこもったものには、
そんな力があるね。
多分きっかけがなければ物事を理論的に、
合理的に考えるわたしだから。
本当だったら感傷的にはならないのですが、
となりに住む住人が、
共有スペースで「通ってもいいよ」と言って道を譲ってくれて、
ありがたかった。
だって、ずっと住んでいて、
この3年間、ここに住んで、はじめて
会話したから。
はじめはのっぽの厳格なおじいさんに見えた。
最初の印象はそうだったのがなつかしい。
私がいつも夜中に音楽を聞いたり、
プリインターの音がしたりで、
いろいろ隣人としてへんな行動をしているのに、
どうぞと言ってくれたことで、
それを許容してくれているとさえ思う。
今もとなりで掃除する音が聞こえるけど。
まるで
おつかれさんと言っているようにも
聞こえるのだ。
こんな掃除をしている私でも
となりのおじいさんに癒されました。
小さな癒しは毎日に転がっているんだって、
前誰かが言ってたなあ~。
何かにつけて田舎を思い出すたびに、
自分を思い出すだろう。
田舎から出てきたときに
ものすごく張り切ってきたことや、
何か希望を持っていたこと
そしてそれなりに努力してきたことを。
思い出すんだろうな。
物にもそれはしみついていて
ラグや座椅子、
よく使うものは、買ったときの自分を思い出させるから、
それを捨てるときには、
なんか昔の自分を思い出す。
希望を持っていたけど
自分の思ったように運ばなかったことがあって、
すこしへこんでいる時、
そのときの自分を考えて
すこし感傷的になる。
思い出のこもったものには、
そんな力があるね。
多分きっかけがなければ物事を理論的に、
合理的に考えるわたしだから。
本当だったら感傷的にはならないのですが、
となりに住む住人が、
共有スペースで「通ってもいいよ」と言って道を譲ってくれて、
ありがたかった。
だって、ずっと住んでいて、
この3年間、ここに住んで、はじめて
会話したから。
はじめはのっぽの厳格なおじいさんに見えた。
最初の印象はそうだったのがなつかしい。
私がいつも夜中に音楽を聞いたり、
プリインターの音がしたりで、
いろいろ隣人としてへんな行動をしているのに、
どうぞと言ってくれたことで、
それを許容してくれているとさえ思う。
今もとなりで掃除する音が聞こえるけど。
まるで
おつかれさんと言っているようにも
聞こえるのだ。
こんな掃除をしている私でも
となりのおじいさんに癒されました。
小さな癒しは毎日に転がっているんだって、
前誰かが言ってたなあ~。
今日、警察のある交差点で
2段階右折をしようとしたらとめられた。
うすうす小耳にはさんでいたのだが、
3車線のところでは、50ccバイクは
右折ができないらしい。
2段階右折をするらしい。
3車線のところは結構あるので、
そういう場所では、
左斜線を走行し、右ウインカーを出し
右折しないで直進し、
横断歩道手前で直角に向きを変え、
青になったら進む。
こんなことをしろって注意されました。
でも、
左斜線にいるときに、
右ウインカーを出せって言うんですけど、
それだけでも勇気がいることですね。。
世の中の50cc乗りの方、2段階右折は
大変ですねえ。。。。。
交差点で方向転換しているひとを
見たことないけど、、どうなんだろう。
通勤の田舎道にも、そんな場所は2箇所もあって、
その場所でそんなことをしなくては
いけないと思うと、面倒くさい。
2段階右折をしようとしたらとめられた。
うすうす小耳にはさんでいたのだが、
3車線のところでは、50ccバイクは
右折ができないらしい。
2段階右折をするらしい。
3車線のところは結構あるので、
そういう場所では、
左斜線を走行し、右ウインカーを出し
右折しないで直進し、
横断歩道手前で直角に向きを変え、
青になったら進む。
こんなことをしろって注意されました。
でも、
左斜線にいるときに、
右ウインカーを出せって言うんですけど、
それだけでも勇気がいることですね。。
世の中の50cc乗りの方、2段階右折は
大変ですねえ。。。。。
交差点で方向転換しているひとを
見たことないけど、、どうなんだろう。
通勤の田舎道にも、そんな場所は2箇所もあって、
その場所でそんなことをしなくては
いけないと思うと、面倒くさい。
