行間を読む、という理解力もリテラシーの一部だろうか?

そもそも、行間を読む、という能力は、人間のどういう機能だろうか?
法律の条文に、“行間を読む” ということはありえないだろう。

それを認めるならば、今よりもなおのこと、法律解釈が多様化し、混乱するのみだろう。

文字(記号)化されない部分を読者が読み取る事の意味は、
書かれた文章の意味を膨らませる、味付ける、色付ける、・・・
そういうニュアンスなのだろうけれど、

受け取り手側の事情しだいで、その「行間を読む」ということの
実質的な中身は変わらざるをえない。

それでも、行間を読む、ということの感性、感情は、
大切にしたいと思うのです。