前回の投稿より



イケメンで

スポーツ万能

慶應大学卒業するほど

優秀だった

.父は






秋田銀行支店長までなったが

生涯で20回以上

躁鬱病で入退院を繰り返し


多感な

高校の頃は

父の躁鬱病の症状を目の当たりにして


この家を早く出たい、離れたい

そして

父を尊敬しているとは

言えないと思っていた 



結婚する時 母に

「尊敬する人はお父さんと言いなさい」

と言われたが


「お父さんのこと、尊敬してないのに

 思ってないことは言えないよ」

と答えた



父が64歳で亡くなった時も

亡くなったことは悲しかったけれど

本当の意味で

父への思いは、変わらなかった



ところが自分が

父と同じ病気になって初めて

こんなにも躁鬱病とは

苦しいものかと感じた


自分が、父と同じ秋田の病院に入院した時

いきなり手足を拘束され

ずっとベッドに寝かされ

歩くことができなくなった。

それからのリハビリが大変だった。

躁鬱病の症状がある程度おさまったときに

周りの家族のわたしに対する

冷たい態度や感情は見えているので

自尊心は傷ついていた


こんなにも辛い大変な人生を

父は愚痴をこぼすことなく

戦っていたのか❗️❗️❗️


そして父が症状を抑えるための

強い薬を飲まされた時も


文字数の多い文芸春秋を

愛読していたということを

母から聞き、父の聡明さを改めて知ったこと



こんなに大変な経験をして

よく父は64歳で亡くなるまで

自殺をせずに天命を全うしたなと


よく愚痴をこぼさなかったなと


その時に、震える思いで

初めて、やっと心の底から

父を尊敬できるようになった😭




自分は

精神病院に入院して、家族に見放されても

なぜか自分は家族を恨めなかった

父もそうだったのかもしれない

今は、父が目に見えないけれど

私を守ってくれていると、感じている


もし父が今この時代に生きていたら

躁鬱病であっても

その頭の良さを活かして


自宅でインターネットを使って

仕事をしていたに違いない

と思っている


父も母も、今は亡くなってしまったけれど


わたしの代で花開けるように


あえて大変な人生を送るブループリント


(人生の青写真)を設定してきたのではと


思ったりしている。