『正しい歴史』を絶対に書きつづらなければならない。そして、だからこそ断じて負けてはいけない。『正義が勝つ』歴史を絶対につくらなければならない。

『史観』と『史眼』が大事なのです。レンガを集めただけでは家は建たない。事実を集めただけでは歴史は書けない。そこに‘どう事実を組み合わせたか‘という歴史を書いた人の『哲学』が隠されている。それを見抜くことです。歴史を見ながら自分の眼を磨き、『これはそうであろう』『どうも違う』『こっちのほうが正しいのではないか』と、正しさを探求することです。そういう心を磨くことが、歴史観を養うことになる。
そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはりありとあらゆることを多く学び、多くを考え、多く体験する以外にない。

大事なことは、どこまでも公正に利己主義にとらわれず、『事実』を追究し、『事実』を探究することです。うそはいけない。

太平洋戦争時代の歴史の取り扱いが問題になっているが、どんな恥ずかしいことであろうが、事実は事実として残すことが、日本民族にとっても、人類にとっても、大切な事です。その歴史は、永遠の流転の一コマですが、事実をきちんと残し、積み重ねていかないと、正しい歴史観がゆがめられ、またみたいに不幸を重ねてしまう。
正しい歴史観を残すことが、人類の平和と幸福の道を残す事になるのです。歴史はゆがめたり、歪曲したりしてはいけない。歴史をつくってしまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好の良い事だけを残しては、歴史書ではなく虚飾所になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠、証人を大事にしなければなりません。

ドイツではナチスの歴史について『年間、約六十時間の授業』を行うのが望ましいとされ、強制収容所の見学も、強く勧められています。過去の過ちをしっかり見すえようとする姿勢がうかがえます。(イアンブルマ『戦争の記憶ー日本人とドイツ人』石井信平訳)

統一ドイツの初代大統領ブァイツゼッカー氏は
『過去の目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります』という言葉は有名です。
(『荒れ野の40年』永井清彦訳)