歴史はつくり話か

たしかに、『いつ、何があった』という表面的な学び方だと、歴史の面白さはわかりませんね。
基本をしっかり学ぶことは大事ですが、もっと大事なのは、歴史を通して、『真実』を見極める眼を磨くことです。

ナポレオンは‘歴史は合意の上のつくり話だ‘といったが確かにそういう面がある。
伝えられた歴史が、『実像』を的確に捕まえているとは限らない。もちろん、一つの事象の起こった年月などは厳然たる事実だろうがー。
有る場合には、真実とは正反対のことを伝えているのかもしれない。伝えられていないもっと大事なことも、あるに違いない。

そう言えば池田先生
『本の歴史は、間違いだらけだ。自己の歴史には、自己の胸中だけには、一分の、嘘も、飾りも書けぬことを知れ』(池田大作全集第366巻収録)

歴史は意を尽くさない。書かれた文字を、うのみにしてはならない。
例えば、十字軍の歴史もそうです。十時軍の戦争について、ヨーロッパ側とアラブ側の記述には、共通するところが、ほとんどないという。
日本では、ほとんどの資料はヨーロッパ側ものです。考えて見れば当然ですが、アラブ側から見ると、まず『十時軍』などという美名はない。たんなる『侵略者』にすぎない。
じつは当時はイスラム世界の方が、はるかに高い文化水準を誇っていたという。それを侵略し、破壊し、略奪したわけです。少なくとも、アラブ側から見ればそうです。残虐極まる十字軍の行為も記録されている。
十字軍をどう見るかという歴史観は、『過去』の問題だけではない。イスラム世界への偏見は、今も根強く残っているし、世界の平和に大きな影を落としている。『現在』の問題なのです。ゆえに『未来』の問題にもなる。