悩みがあるほど歴史を読め!

歴史を学ぶことは、自分が、その時代を生きることになる。そこには熱血の革命児もいれば、裏切りの卑劣感もいる。栄華の権力者もいれば悲劇の英雄もいる。安穏を求めながら、流浪しなければならなかった民衆もいる。戦乱と、その合間の、わずかな木漏れ日のような平和がある。
今から見れば迷信にしか見えないことのために、大勢が命を奪い合ったり、また、人間愛のために自分を犠牲にしていった正義の人もいる。極限の苦悩から立ち上がって、不可能を可能にした偉人たちもいる。
そういう歴史の絵巻を、距離感ももって見ることもできるし、その真っ只中に入ってみる事も出来る。歴史は、人間の心の映像です。わが心に、歴史のドラマの映像を映していくのです。
そこから、自然のうちに、大きな目で、ものごとを見られる自分になっていく。滔々たる歴史の大河の最先端にいる自分というものを考えるようになる。
自分はどこから来たのか、どこにいるのか、どこへ行くのか。
歴史は現在の自分の『ルーツ』__根っこでもある。歴史を深く学んだ人は、自分の根っこを認識し、自覚できる。『歴史を知る』ことは、結局、汝を知る__『自分自身を知る』ことに通じるのです。
また自分自身を知り、人間自身を深く知るほど、歴史の実像が、ありありと見えてくるのです。
それが『史観(歴史館)』であり『史眼(歴史を観る眼)』です。