記憶に残る練習というのは…
アカペラをやっている身なので歌を例に語りたいと思う。
歌の練習ってただ単に音をとって合わせる…だけじゃないと思う。
もう何回も歌ったから飽きた、とかもう完璧だし、とか…
歌に終わりなど無い。
この歌のどの歌詞が好きですかと訊かれて瞬時に答えられる人はどれくらいいるだろうか。
これぐらいはまぁ頭の回転の早い人なら答えられなくもない。
歌を歌うということはその歌詞の意味を理解している又は共感できているということだ。
そうでなければ聴き手に伝えることなど不可能だ。
個人的な意見だが、歌は、歌詞の意味を理解することがまず率先してする練習なのである。
その練習を終えてから初めて音やリズムをとるべきである。
歌の練習や本番にはハプニングがつきものである。
ハプニング以外にも様々な出来事があっての歌ではないだろうか。
もちろん本番が上手くいった、練習が1回目で上手くいった、というような記憶も良い思い出として残るだろう。
しかし、本番失敗した、練習がなかなか上手くいかない、というような失敗の記憶の方が頭の中に良い思い出として残りやすいのではないだろうか。
それに歌は歌うことだけではない。
本番の発表のときに私たちは何を思い浮かべて歌っているのか、
練習で間違えたところ、練習中のたわいもない会話、先輩の癖、自分の失敗…
この蓄積が集大成となって回帰、連想されるのである。
中間発表というものがあった。
初の晴れ舞台となる一年生にとっては手に汗握る時間だったと思う。
しかしながら、やはりここには魔物が潜んでいる。
普段の通りにやることがこんなに難しいことなのかと思わせるハプニングが次々と露呈する。
歌詞がとぶ、音が分からなくなる、声がでない…
まだ中間発表だったからよかったものの…
深い傷を負った。
それとともに大きな収穫もあった。
こんな失敗は絶対に忘れられない。
必死であるからこそ、振り返ったときに良い思い出として蘇るのである。
また、歌は一度では終わらない。
歌は歌いたいときにいつでも歌うことができる。
そういうときにぱっと思い浮かぶのが、このときの歌なのである。
どこまでを歌とするか、歌の練習とするかは自分次第。
つまり何が言いたいかというと、練習した分が技術として身になるとは限らないということである。
しかしその無駄のように思える繰り返しの練習が、記憶として自分の心に残っていく。
だから、練習をまじめにやることが一番上手くなる方法だとは思わない。
かといってふざけてばかりではただの遊びになってしまう。
だから、楽しく歌うということを優先したい。
心に熱い情熱を秘め、かつ場の雰囲気に流れを任せる。
歌っている歌詞からプライベートの話にそれてしまう。。
何が悪い?
ただ単に歌うことよりも私は歌いながら過ごす時間を大切にしたい。
そういう歌を歌いたい。